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ルーツ探し、塩飽二代記。造船の古川庄八と鉄道の阪次郎。天はその親子の運命を開かせた

 私の先祖である古川庄八は、幕末に塩飽諸島の瀬居島に生まれている。現在の坂出市瀬居町西浦である。21歳の時に幕府の船を動かす塩飽水軍の御用水主に任命されている。


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      瀬戸大橋のかかる塩飽諸島

 ペリー率いる黒船が、突如日本に来航して開国をせまるや、幕府は、日本にも海軍を創設する必要性を感じて、長崎に海軍伝習所が創設された。この時、庄八は、塩飽水軍から選抜されて、勝麟太郎(海舟)とともに一年間、海軍伝習所で、オランダ人講師から操船技術の講習を受けたが、初めてのオランダ語に苦労するが、それでも何とか操船技術の基礎を習得する。


 日米修好通商条約の批准のために米艦ポーハタン号に新見正興、小栗忠順が正使として搭乗し、その護衛艦咸臨丸に勝麟太郎が艦長として太平洋を横断してサンフランシスコに到着する。この咸臨丸には塩飽の水夫35人が操船に当たっていたのである。小栗忠順は、アメリカの造船所を巡視して、日本にも造船所を建設する必要性を感じて横須賀に製鉄所と造船所を造ることを決定した。


 1862年に幕府は、オランダ政府に開陽丸の建造を依頼すると同時に、オランダに榎本武揚、西周、津田真道ら俊英16名の留学生を派遣する。その中に塩飽衆から古川庄八と山下岩吉の2名が加わって、造船、軍艦の操船技術を本格的に習得するためにオランダに渡航留学する。
 渡航前に庄八は、父親から「息子は気でも触れたか?」と思われたらしい。それほど当時の260年間の鎖国を貪っていた日本人の感覚としては当然のことであった。


 その親の心配が的中したのか、インドネシアのバタビヤ目前に船が座礁して沈没し、やっとのことで島に漂着した。熱帯特有の虫に悩まされながらも別のオランダ船に乗り換えて喜望峰を回って324日間もかかって、苦難の末に、ようやくオランダのロッテルダムに到着したのである。ここまで来たのは庄八らの使命感のみであったろうことは想像にかたくない。


 庄八は、岩吉とともに下宿しながら、オランダのライデン大学で操船技術や造船技術の習得に必要な語学や数学や造船構造学やオランダ海軍の軍艦による実務学習などを苦学しながら学び終えて、足かけ5年後に建造した開陽丸を操船して日本に帰国した。開陽丸は2590トン、400馬力、35の砲門、400人が乗船できる当時としては日本最大の軍艦であった。


 時あたかも鳥羽伏見の戦いの最中で、幕府軍が敗れると、大阪城にいた徳川慶喜は、庄八の操舵する開陽丸で大阪を脱出して、江戸湾に入港して、そのまま水戸で謹慎する。


 しかし庄八は、榎本武揚とともに軍艦で江戸湾を脱走して北海道へと向かい、蝦夷地を平定する。だが迫り来る官軍との函館沖の戦いで開陽丸は沈没し、庄八の操舵する回天丸は、被弾して炎上、九死に一生を得たものの捕らわれて南部藩に預けられる。やっと自由の身になったのは明治3年の頃であった。


 庄八は、明治新政府の海軍省に出仕して、開拓使御用係として北海道と本州の輸送に当たり、また海軍技師として、日清戦争で沈没した定遠の引き揚げなどにも尽くした。


 1887年にすでに出所して政府高官にまで栄達していた榎本武揚の肝いりで、横須賀造船所の技術顧問になり、ドッグマスタ-としてのマネジメント能力をいかんなく発揮した。特に日露戦争では日本海海戦でバルチック艦隊を殲滅した連合艦隊の後方支援としてドッグ入りした軍艦の修理などに携わって、造船所としての役割を見事に果たしたのであった。


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横須賀造船所 
 日露戦争に勝利した東郷平八郎は、小栗忠順の子孫を召し出して横須賀造船所を建設した先見の明のあった小栗忠順への感謝とともに子孫に褒美を取らせている。この時、古川庄八は自分の数奇な運命を振り返って感激ひとしおだったと言う。その後、赤坂氷川で静かな晩年を送り、78歳の生涯を閉じている。


 また養子の阪次郎は、塩飽広島の出身で、庄八から「海の生活は親父一代でよい」と言われて1878年に工部大学に入学、6年後に卒業すると九州鉄道の技師としての鉄道人生の第一歩を歩んだ。
 1896年に阪次郎は、東京と甲府を結ぶ中央線の最大の難所と言われた笹子トンネルの工事監督となって7年間の苦心惨憺の末に、当時、日本一長い4656メートルのトンネルを開通させたのである。その後も阪次郎は、鉄道院副総裁として現在の新幹線と同じレール幅の「広軌鉄道」を提唱したことなど鉄道一筋の人生を歩んで、国家に貢献して82歳の人生を終えた。
    furukawa[1] 鉄道院副総裁古川阪次郎tonneru04[1]難工事 だった笹子トンネル

 本来ならば古川親子は、塩飽で生まれ育ったのであるので、塩飽の地に骨を埋めるべきところを、庄八は、幕末の乱世の時代はそれを許さず、オランダ留学して造船技術を学んで、日本の造船所の基礎を築き、また息子の阪次郎は、鉄道技術を学んで、日本の鉄道の基礎を創ったのである。
 このように天は、古川親子二代の運命を大きく変えてしまったのであった。けして歴史の表舞台には出てこないが、二人とも日本の造船と鉄道の草創期を支えた人物であったことは間違いない。しかもその奥には塩飽水夫数百名が舞台裏でかかわっていたのであった。

なお蛇足ながら三代目の孫の達四郎も運輸関係の道を進んで満鉄理事や国際運輸の社長となっている。

  
 これらのことは私のルーツ探しの旅で分かったことである。先祖に立派な人物がおられたことを誇りに思い、それに負けないように頑張りたいと思った収穫の旅であった。
 来年2018年は、明治維新から150年目である。このような隠された秘史を紹介してもよいのではないかと思って書いた。


 ブログの、これまでになかった「安田一悟の異次元歴史ミステリー」は、歴史ミステリー部門では、常に上位にランクされてます。これも読者の皆さんのおかげです。ありがとうございます。

              
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