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「暮れてなお力の限り蝉しぐれ」101歳、中曽根康弘元首相の大往生

 100歳を超えていたので、もうそろそろ帰天かなと思われていたが、令和元年11月の末に、とうとうお亡くなりになられた。

 戦後の政治家としては、田中角栄元首相とともに、とくに印象の残る大物政治家だった。

20191130-00153016-roupeiro-000-38-view[1]戦中は、海軍主計将校として、パラオ、フィリピン、インドネシア、台湾を転戦して生き抜いた。

 中曽根氏は「自分は運がいい」と語っていたが、「その運の良さは、いつまで続くか分からない」とも語っていた。

 未来については、「未来は考えないね。今を充実させていくことで、精いっぱいだ。未来は神様が与えてくれる」と、禅の修行者のような考えを持っていた。

 事実、総理時代は、「剣禅一如」の山岡鉄舟が建立した谷中の全生庵に172回も通ったという。11日に1回は座禅していた自制と精進の政治家であった。

 中曽根氏の凄いところは、戦後の1947年から衆議院、連続20期、56年間も国会議員を務めたことだ。

 その間に国鉄、電電公社、専売公社の民営化や原発政策を推し進めた。

 また中曽根元首相は、東西冷戦のさなか、アメリカのレーガン大統領やイギリスのサッチャー首相と共に、自由主義陣営国の一員として、ソ連の共産主義陣営と対決する姿勢を明確に示した。

 特にレーガン大統領とは、「ロン・ヤス」と呼び合う信頼関係を築いて、日本を「不沈空母」にも譬えた。

 今でも印象に残っているのは、1983年11月の日米首脳会談で、レーガン大統領夫妻を、中曽根首相の別荘である日の出山荘に招いて歓待し、両首脳が囲炉裏端にチャンチャンコ姿で座り、くつろいでいる姿であったことだ。

    「中曽根康弘元首相」の画像検索結果

 80年代の日米関係は、同盟を強化する一方で、電化製品や自動車を巡って貿易摩擦を抱えていた。

 しかしその軋轢が、安全保障までに影響が及ばなかったのは、両首脳による信頼関係があったからだろう。

 1989年にベルリンの壁が崩壊し、またソ連が崩壊することによって、西側自由主義国は、第1次冷戦に勝利した。

 その盟友レーガン氏は、2004年に亡くなり、サッチャー氏も2013年に亡くなり、そして中曽根氏の死去によって、第1次冷戦時代の幕は完全に閉じられた。

 今は、米中による第2次冷戦の時代に入った。

 中曽根氏の死去に際して、中国からも哀悼の意が表せられた。

 それは中曽根氏が、中国へのODAを積極的に進めて、総額4700億円の第2次円借款供与を表明するなど、中国初期の「改革・開放」を支えたからであろう。

 しかし1985年に、首相として靖国神社への公式参拝を行ったところ、中国側の反発を招いて、以後参拝を中止した。

 何か安倍晋三首相にも似ているようなところがある。

 中曽根氏は、米中による第2次冷戦である、今回の香港問題について、どう思っているであろうか?

 それよりも「憲法改正」の方が、政治家として心残りであったろうか?

 大川隆法総裁のライフ・リーディングによると、過去世は、藤原道長や仁徳天皇であったようで、偉大な政治家の魂である。

 死後の霊言が採られたようなので注目してみたい。完

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