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第一回幸福の科学発足記念座談会、初転法輪の思い出①

 今から、33年前の1986年の11月23日という日は、「幸福の科学」にとって忘れがたい日です。それは大川隆法総裁が、東京の荒川区西日暮里において、初めて会員の前に、その姿を現されて、救世の第一声を放たれた日であったからです。

 この時は、「幸福の科学」の事務所が開かれて2カ月も経っていない頃で、まだ2百名の会員がいたかどうかでしたが、大川総裁によって、「いよいよ会員の、みなさんの前に顔を出さなくては、と思いますので、来る11月23日に、第一回幸福の科学発足記念座談会を開きたいので、会場の手配と準備をお願いします」というご指示をいただいたので、私たちボランティアは早速準備に取りかかりました。

 まず事務所より「二千数百年ぶりに法を説かれるために地上に降りられた大川隆法先生が、初めて皆様の前に現われて説法されます。」という案内状を会員に出したところ、やはり、ことの重大さを感じられたのか、遠くは北海道や九州からも駆け付けてこられた会員もおられて、会場には87名が集われました。

しかしこの時点では大川隆法総裁先生が「再誕された仏陀」であることは明かされてはいませんでした。

 この「幸福の科学発足記念座談会」が催された日暮里酒販会館の4階の会場というのは、再誕の仏陀であられる大川隆法総裁には、とても申し訳ないような粗末なもので、畳はやや茶色に変色して、灰色の柱と壁、窓には、うす黄色のカーテンがたれ、天井はタバコのヤニなどでくすんだ色をしていて、しかもウナギの寝床のような縦に細長い40畳ぐらいの演台もない質素なものでした。

これが後世にも語り継がれる「初転法輪」と言われる会場でありました。

 案内の看板や会場の設営は、すべて運営メンバーによる手作りでした。

また『幸福の科学入門』『反省の手引き』『光明生活の方法』『人生に勝利する詩』『悪霊から身を守る法』『病気に打ち克つ法』などのワープロで仕上げた小冊子も何とか間に合わせることができました。

小冊子は一冊1500円で頒布されました。会場費は1000円だったと思います。『幸福の科学』は最初から経済原理が働いていて、真理価値に対価を払うということが、しっかりしていたので、この小冊子の販販売が最初の収入源とり、「幸福の科学」の運営の元手になり、後年の発展につながっていったのです。

 そして午後2時10分頃、ついに歴史的瞬間が、やってまいりました。会場は通路も、ぎっしりと埋まっていましたので、大川隆法総裁は、後ろからベランダを通って皆さんの前に、その姿を現されました。

黒のスーツで、ネクタイは紫と銀色の細いストライプで、やや長髪の、若さみなぎる格好でした。「みなさん、こんにちは」という、きわめて普通の気軽な挨拶で始まりましたが、しばらくは会場の拍手は鳴り止みませんでした。

大川総裁は、とても晴れやかな表情をされて、顔のツヤもよく、片手でカラオケ用のマイクを握られてジェスチュアーを交えながら、やや早口で元気よく話されました。

 話は、すぐに本題に入られて「私たちは先を目指しています。この先というのが大変遠いところまで目指しているために、まず基礎固めをしてから皆様とお会いしたいと考えたわけです。現在までの一年余りの間に数百通のお手紙をいただいていながら、私たちは世に出ず、やっと11月という時期に皆さんの前でお話しができるようになったことを天上界の方々にお礼申し上げたいと思います。」と、まず「再誕の仏陀の第一声」として、これまでのいきさつを語られました。

 さらに「『幸福の科学』の目指すところ、あるいは最初の興こりということから話していきたいと思います。これから何十回、何百回と講演会をやるでしょうから、法の全体像についてはいろんな角度で、お話をしていくつもりですが、第一回の話ということはもう2度とありませんので…」と、大川総裁は、さらりと述べられました。

 そして「まず、どのようなことから興ったかということからお話ししたいと思うのです。ちょうど今から5年8か月前になりましょうか、1981年3月23日、日曜日の午後3時頃、座椅子に座って音楽を聞いていた時、何か心の中がそわそわしてきて誰かが私に何かを伝えようとしているのが分かったんですね、何か霊的なものだということははっきり分かったので、とりあえず身の廻りのものを捜したら百枚ぐらいの白いカードがあったわけです。そして鉛筆を持ったらカードの上を鉛筆が走り出したわけです。カタカナで『イイシラセ、イイシラセ』と書いてあるのですね、『イイシラセは分かったから何を知らせるのか言ってみなさい。』と私は言ったわけですが、次のページにいくとやっぱり『イイシラセ』と書くのですね、3枚目やはり『イイシラセ』です。何枚でも『イイシラセ』と書くのですね、私も『もうイイシラセはいいから、あんたは誰か名乗ってみなさい、あなたは霊であるというのも分かっている、誰かはっきり名前を言いなさい。』とそういうふうに言ったわけです。そうすると最後に署名しましてカードの10枚目ぐらいにカタカナで『ニッコウ』と書いたわけです。日蓮さんのお弟子さんに日興上人というのがいらっしゃったんですね、そういう方が出てきたから、てっきり『これは日蓮宗系だな』と私は思ったんですね、それから日頂さんという方からも通信があったわけですね、しかししばらくすると『これは違うな』ということが分かったわけです。『日蓮だ』ということが分かったわけです。最初から日蓮というと信用しないので、日蓮さんのお弟子さんということでまず入ってきたわけです。その日蓮さんが『あなたは、まずこれを出発点にしなさい。』と、『人を愛し、人を生かし、人を許せ』の3つを言われたわけです。」と大悟の瞬間のことを語られました。

 それからいろいろなお話しをされた後、「これから私は、約50年間、講演をし、執筆していきます。50年間あれば相当のものができると思います。洗いざらい全部出します。一応西暦2037年ぐらいまで私は、みなさんの前でお話しをする予定であります。その間に、この中にいる方はおそらく8割か9割はもう先に逝っているかもしれません。そしてその後、今から2800年したら、もう1回、私は地上に出てきます。その頃にまたみな様とお会いできるかも知れません。」というご自身のやるべき使命と今世の計画についてのお話しで結ばれました。

 大川総裁には大変申し訳ないことでしたが、控え室が、アルミパイプと布でできたパテーションを立てて、中に座布団を1枚置いただけのものでした。続く

 

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