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速報、チョ・グク法相電撃辞任 韓国の「反日感情」ミステリーの歴史探求①、パク・チョンヒ大統領編

日本にとって隣の韓国ほど理解しがたい厄介な国はない。

レーダー照射問題やムン・ヒサン国会議長が「天皇は謝罪しろ」と言ってみたり、Gソミア破棄で、トランプ政権の機嫌を損ねたり、このところのムン政権の「反日感情」は常軌を逸している。

「なぜ韓国の『反日感情』が、それほどむきだしなのか?日本をバッシングして、それでどうなるというのか?」

 これも日本人が理解しがたい「感情ミステリー」である。

 この謎を解く1つのカギは、戦後の韓国の歴史にある。

その韓国の近代化は、パク・クネの父親であるパク・チョンヒの存在なしには語れない。

1950年6月25日に北朝鮮の電光石火の奇襲攻撃で始まった朝鮮戦争は、3年と1カ月間行われて、双方400万人の死者を出して、やっと休戦協定が成立した。

休戦後の韓国内では、議会の混乱によって復興や工業化が進まず、軍の内部の腐敗も深刻化していた。

この混乱した国内状態からパク・チョンヒ少将が、軍の改革派を率いて、1961年5月16日に軍事クーデターを決行し、成功させて、国家再建最高会議議長に就任した。

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1963年から1979年までの16年間パク・チョンヒ氏は、軍政から民政に移行して韓国の大統領を務めた。

1965年に、パク・チョンヒ大統領は、国内の激しい反対運動に対して戒厳令を引いて、日本の佐藤栄作総理との間で「日韓基本条約」を批准して日韓国交正常化を断行した。

この時、韓国国民に声明を出して、「国際社会の激しい競争の中で、過去の感情のみに執着していることはできない。昨日の怨敵と言えども、我々の今日と明日のために必要とあれば、彼らとも手を取らなければならない。そうすることが国利民福を図る賢明なやり方ではないだろうか?」と訴えた。

この時に日本から約5兆円が戦後補償として供与された。これは当時の韓国の3年分の国家予算に相当するものであった。

さらにアメリカのジョンソン大統領の要請を受けて、1964年に韓国兵、延べ30万人をベトナム戦争に派兵した。

アメリカは見返りとして、韓国が導入した外資40億ドルの半分20億ドルを負担し、その他の負担もあっせんした。

これらの日米の経済支援を得て「漢江の奇跡」と呼ばれる韓国の経済復興が達成されたのであった。

このようにパク・チョンヒ大統領は、国際環境の中で、現実主義の政治家として、日本やアメリカを利用して、韓国の安全保障と経済繁栄を実現するために全力を尽くした、きわめて優れた政治家であった。

パク・チョンヒ大統領は、「明治維新の志士を見習いたい」と称賛していた。とくに西郷隆盛を尊敬して、「子孫のために美田を残さず」という言葉を好んで使っていたという。

このようにメンタリティーや経済政策など、日本の「明治維新」による近代化の影響を色濃く受けていた。常に「反日よりも用日こそが大事だ」と語っていた。

福田赳夫首相が訪韓した際に、酒席で自らの体験を語り、「日本の朝鮮統治は、そう悪かったと思わない。自分は非常に貧しい農村の子供で学校にも行けなかったのに、日本人が来て義務教育を受けさせない親は罰すると命令したので、親は仕方なしに大事な労働力であった自分を学校に行かせてくれた。すると成績が良かったので、日本人の先生が師範学校に行けと進めてくれた」

「さらに軍官学校を経て東京の陸軍士官学校に進学し、首席で卒業することができた。卒業式では日本人を含めた卒業生を代表して答辞を読んだ。日本の教育は、割と公平だったと思うし、日本のやった政治も私は感情的に非難するつもりはない、むしろ私は評価する」と語っていたそうである。

しかし韓国の歴史については、自著『国家・民族・私』で、「わが半万年の歴史は、一言で言って退嬰と粗雑と沈滞の連鎖史であった」とし、「(韓国社会は、)姑息、怠惰、安逸、日和見主義に示される小事的な封建社会の一つの縮図に過ぎない」と、自国のを激しく批判している。

「わが民族歴史を考察してみると、情けないというほかない」、「我々が、真に一大民族として中興を期待するなら、まずどんなことがあっても、この歴史を改新しなければならない。このあらゆる悪の倉庫のような、我が歴史は、むしろ燃やして然るべしである」と、自国のを、ここまで言うかと思うほど厳しく批判しているのである。

この「パク・チョンヒ大統領の韓国人を批判する態度を、韓国の国民は、どのように受け止めるであろうか?」

パク・チョンヒ大統領も、自分も「反日」だと明言している。しかしその「反日」は、甘えがなく、自分の国の欠点をも直視する勇気を備えていた。

そのためかパク・チョンヒ大統領の時代には日本に嫌韓感情は生まれずに、かえって心ある日本人の尊敬を集めていたのである。

パク・チョンヒ大統領は、韓国の軍備増強よりも、経済基盤の建設を優先して、軍人としては珍しく経済マインドを持つ政治家でもあった。

こうしてパク・チョンヒ大統領が、韓国に秩序と経済発展をもたらしたことも事実であるが、民主化運動への弾圧などに影を落としていることも事実である。

このようなことから韓国のサヨク・メディアから独裁者だとして、激しい非難を浴びているのである。

1979年10月26日に、パク・チョンヒ大統領は、大規模な民主化デモの鎮圧を命じた直後、側近の金載圭情報長官によってピストル暗殺された。享年61歳であった。

韓国に、彗星のように現れて、近代化を成し遂げると、瞬く間に過ぎ去っていった壮絶な人生であったと言える。続く

 

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