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謎の浮世絵師、「美人画」の喜多川歌麿

   2016年6月22日、パリで喜多川歌麿の「美人画」、手にキセルを待った物憂げな表情を浮かべる女性「深く忍ぶ恋」が、競売にかけられて8800万円で落札された。

 現地紙のフィガロは、日本の木版画の落札額としては史上最高額であり「傑作だ」と讃えた。

 このように海外でも歌麿の「美人画」の評価は、ひじょうに高いようである。

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 もちろん日本でも歌麿と言えば、江戸時代の一番有名な「美人画」の浮世絵師である。

 しかし、じつは、この「歌麿が、いつ、どこで生まれたか?」は、1753年頃、出生したと言われるが、その出生した場所も江戸や川越や京都と定かではなく、正確な記録が残っていないために分からないのである。

 18歳頃に狩野派に師事した町絵師の鳥山石燕の門人となっていた記録があり、ここでようやく歌麿の存在が確認されている。

 しかし歌麿には鳥山石燕の描く「妖怪画」は、性に合わなかったようである。

 歌麿が目指したものは、あくまでも女性美の追求であった。

 ということで歌麿が世に出たのは、かなり遅く、20代ではまったくの無名であり、30代では「春画」を書いていたが、版元の蔦屋重三郎に、その精密にして、写実的な、浮世絵の才能を見出された。

 蔦重の引き立てもあって、狂歌師や浮世絵師などを紹介されて交友を広げる中で、画力を磨き上げて、やっと40代で、その才能が「美人画」によって開花したのである。

 歌麿は、写楽などの「役者の大首絵」の構図を、「美人画」に用いて「美人大首絵」を描いたのである。

 大胆な構図で、女髪と細面に切れ長の目と小さな受け口の優雅な表情が、匂うような艶っぽさの「美人画」に描き上げた。

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 この内面からにじみ出る官能的な「美人大首絵」が、江戸の町民たちに広く受け入れられて、歌麿は、浮世絵師として絶大な人気を博したのであった。

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 しかし折しも運悪く、老中・松平定信による寛政の改革の引き締めの時代で、「浮世絵」は、世の風紀を乱すものと捉えられて、まず「美人画」に遊女以外の名を記すことが禁じられた。

 さらに「美人大首絵」が禁止されると、歌麿は、幕府の取り締まりの盲点をついて、半身像や3人組を描いたりして、裏をかくように新しい浮世絵の手法を開拓して、目を見張るような「美人画」を描き続けたのである。

 しかし、このことが幕府の癇に障ってしまったようだ。

 52歳の時に『絵本太閤記』を題材にした豊臣秀吉の醍醐の花見を描いた浮世絵が、秀吉の名は禁句であるという幕府の、ご法度に触れた上に、これは将軍・徳川家斉を揶揄した筆禍事件とみなされて、手鎖50日の入牢となってしまった。

 浮世絵師として手鎖の刑を受けたことは、歌麿にはひじょうに堪えたらしい。

 刑を終えた歌麿は、再び筆を執ったものの画力の精彩を欠いてしまった。

 かつて一世を風靡した華麗な「美人画」の歌麿の執筆活動は、わずか10数年で燃焼し尽くしてしまい、2年後に病気で詫びしく、この世を去っている。

 しかして「美人画は、歌麿にとどまる」とまで称され、500枚はあるであろう歌麿の「美人画」は、不朽のものとなり、その名声は、日本のみならず「ジャポニズム」として世界にも知られるようになっていった。

 江戸時代の、ほぼ同時期を生きたミステリーな浮世絵師である男画の「写楽」と、女画の「歌麿」が、いつまでも日本人に愛されてほしいものである。 完 

 

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