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30年後を迎えた「天安門事件」とは、いったい何だったのか②

「天安門事件」とは、4月に民主化運動に寛容だった胡耀邦元総書記が死去したことで、天安門広場の人民英雄記念碑の前で、学生たちが追悼集会を開いたことをきっかけで、大規模な民主化要求のデモが発生した。

集まった知識人や労働者たちが、反民主化の「鄧小平打倒」を叫んだところ、これを動乱として北京市内に厳戒令が出された。

 1989年の6月4日の未明に突如、人民解放軍の戒厳部隊の戦車や装甲車が、天安門広場に乱入してきて、テントで寝ていた学生や市民たちをひき殺し、容赦なく発砲して、血だまりの中を人々が逃げ惑うという凄惨な武力鎮圧が起こったのである。

  これを指示したのが「社会主義を守るためならば、学生や市民の命など全く顧みない」という冷酷さを持った最高指導者鄧小平であった。

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天安門事件の戦車隊の前に立った「戦車男」

 しかし天安門広場に集まっていた学生や市民たちは、けして国家を転覆しようとしていたのではない。普通の国家としての自由や民主化を要求していただけなのに、それに銃を放ち戦車で踏み潰していったのである。これを見ると[中国共産党]とは何と恐ろしや。

 それも本来は人民を圧政から解放する最も味方であるはずの人民解放軍が、人民に向けて銃弾を放って、天安門広場を血の海としたのである。

 虐殺された正確な人数は、今もって分からないが、一説によると、死者は1万人、負傷者は、その3倍ぐらいと言われているのである。

 現在でも、インターネットでは、「天安門事件は触れてはいけないもの」として、中共政府側によって隠蔽されてブラックアウトされているが、この映像の一部が、すでに全世界に配信されてしまったのである。

 いくら隠蔽しようとも、あるいは最小限の犠牲であったかのように発表されようとも、これは隠しようのない証拠であった。

 それは「中国が、如何なる国なのか?」を露呈し、「自由の死によって、中国国民は完全に悪○の支配下になった」というのが、この天安門事件の真相だったのである。

 これは中共政府が頑として認めなくとも世界が絶対に忘れてはならない歴史的事実なのである。

 この「天安門事件」の武力弾圧で、西側諸国が対中制裁に踏み切ったので、中国は国際社会から孤立化して、窮地に陥った。

 その中国に最初に救いの手を差し伸べてしまったのが、日本の宮沢内閣であった。

 この宮沢内閣が決めた1992年10月23日の「天皇訪中」は、平成最大の失策であったといわれている。

 なぜならば、この後、日本政府がОDAを解除したのがきっかけで、西側諸国も次々と制裁解除したのである。

 「中国が経済的に豊かになれば、民主化する」という甘い幻想を抱いたことによって、チャイナ・モンスターを育て上げてしまい、軍事化の脅威を招いてしまったからである。

 5月30日、アメリカ国務省のオルタガス報道官(元FОXニュース)は、6月4日で30年を迎える「天安門事件」で、「平和的に抗議していた人々が、徹底的に虐殺されたことを忘れてはならない。アメリカ政府は、殺され、拘束され、行く方不明になった人々に関する全容を白日の下にさらす取り組みを国際社会とともに続けている」と声明した。

 アメリカ国務省が「天安門事件」を公式に「虐殺」と断定したことは、初めてである。

 またペンス副大統領は、「天安門事件30年」に合わせて、中国による信教の自由や人権の抑圧を非難する演説を6月中旬にも行う予定である。

 トランプ政権は、習近平政権が、数百万人規模とされるウィグル人の再教育施設に強制収容していることに、強い懸念を示しており、今後、人権問題でも、中国と対決姿勢を強めていく構えである。

 日本の安倍政権はと言えば、二階幹事長並びに経団連が、習近平政権の「一帯一路構想」に協力しようとしているのである。

 しかし歴史の教訓として、再び邪悪な中国に手を貸すような同じ過ちを繰り返してはならないのである。完

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