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聖地・川島ミステリー通信7 仏教篇

  四国は、空海が開いたといわれる八十八か所で出来上がっている結界であることはよく知られている。

お遍路のスタート地点である鳴門の大麻比古神社がある1番札所の霊山寺から10番札所の切幡寺までは川島町に向かって直進しているが、11番札所の藤井寺に巡礼するのには吉野川の中州である善入寺島の潜水橋を渡って川島町を通りすぎて鴨島の山地まで戻らなければならない。          

 何と吉野川と川島町が、10番札所の切幡寺と11番札所の藤井寺に挟まれてサンドウィッチ状になっているのである。しかも不思議なことに10番札所から第88番札所まで、川島町を取り囲むような形で四国を一周するような結

界構造となっているのである。       

 その切幡寺の奥の院にある大師堂がなぜか川島町の方角に向って建てられているのである。この大師堂には八祖大師の額絵が掲げられている。その中の善無畏三蔵は、善川三朗名誉顧問の過去世である。八祖大師                             

 また藤井寺の大師堂の壁には「寝釈迦嶺抱日」という絵がある。川島町の背後にある山の連なる稜線が、まるで涅槃に入られた釈迦の姿のように見えたので「寝釈迦嶺抱日」として描かれているのである。

 「誰が、あの山の連なる稜線が『寝釈迦』に似ていることを発見して描いたのであろうか?」

 その川島町が再誕された釈迦の本体であられる「エル・カンターレ」の、ご生誕地であるというのは非常に興味深いものである。まるで川島町が「エル・カンターレ」の、ご生誕地として、空海の時代から準備されていたかのようであるからである。  

 それ以外にも生前の善川三朗名誉顧問から、このようなエピソードを伺ったことがある。川島町に転居した、ある日、四人兄弟が仲良く遊んでいたときに、家の玄関に、ある禅僧が立ち寄って、お経をあげた後に「この子供らの中から将来、天下を動かす者が出てくるであろう」と、つぶやいて立ち去ったという。

 その川島町の幸福の科学川島特別支部の敷地から白鳳時代に建てられた大型寺院である大日寺跡の鬼瓦などが発掘されたことで一躍注目されるようになった。大日寺跡鬼瓦  

幸福の科学川島特別支部の敷地から発掘された鬼瓦

 この大日寺の本尊が「大日如来」であり、これは東大寺にある華厳経の「毘盧遮那仏」でもあって「幸福の科学の御本尊である「エル・カンターレ」につながることから、聖地・川島特別支部内での発見は、けして偶然などではないことがわかる。

 この川島の地に白鳳時代の大日寺が建てられていたことは、すでにその時代から地方仏教の中心地であったことを物語っている。現在どのようなものであったか詳しく調査中である。

 このように川島町は、古代から禊を大事にした阿波忌部氏が関係する神社などの日本神道のスポットと行基や空海によって結界が造られた寺などがある仏教のスポットが二重に重なっていた霊域なのである。

 こうしたさまざまな川島の地の歴史ミステリーを辿っていくと、この地が、神仏への篤い信仰心によって浄化されて、結界が造られていた「本仏エル・カンターレ」の降誕の地として相応しい聖地であることが、ますます明らかになってくるのである。

 我々が注目する最大のミステリーとは、「なぜ、この川島の地を選んで地球神エル・カンターレが降臨されたのか?」ということである。しかしここで一点考えなければならないことがある。これまでは帰納法によって「聖地・川島のミステリー」を追求してきたが、「エル・カンターレが降臨されたからこそ、それが聖化されて、川島が聖地とされたのである」という本来の演繹法の考えに立ち返らなければならない。

 ともあれ「本仏下生」の奇跡の地である聖地・川島の歴史ミステリーの興味は尽きないのである。完


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