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哲学者プラトンが唱えた「イデアの世界」とは、あの世の世界のことであった。

 プラトンは、その生涯をかけて、いったい何を「哲学」し、何を教えていたのでありましょうか?まずプラトンは、「わたしたちの住んでいる現実の世界は、影の世界であって、じつはその背後に『実在の世界』がある。」としております。その「実在の世界」のことをプラトンは、「イデアの世界」と名づけています。この「イデアの世界」が実在していることを、プラトンは、『国家論』の中で「洞窟の比喩」をもって語っています。


 
その内容とは、「多くの人間たちが、洞窟の中に住んでいて、入口に背を向けて手足を縛られて生活しています。ですから住人たちは洞窟の壁面しか見ることができません。しかし時おり洞窟の外から射してくる光によって、洞窟の壁面に映し出されてくる人間らしき影が見えることがあります。常日ごろから洞窟の住人たちは、『この壁面に映る人影のようなものは、いったい何だろうか?どこから来ているのだろうか?』と不思議がっておりました。
 ある日、一人の勇気ある住人が、縛られている縄をほどいて、自由の身となり、洞窟の外に飛び出していくと、そこは目映いばかりの明るい世界が広がっていました。その人は、非常に驚いて、再び洞窟の中に戻って住人たちに、自分が見た明るい本当の世界のことを報告したのですが、洞窟の中の住人たちは、これまでのように洞窟の中こそが、自分たちの全ての世界であると主張して、誰一人信じようとしないばかりか、その外から帰ってきた人を『妄想にとりつかれた危険人物』と見なして、皆で寄ってたかって殺してしまった。」という比喩です。


 さて、この「洞窟の比喩」を解説してみますと、「洞窟の中で暮らしている住人」とは、「地上の世界に生きている人間」のことです。また「手足を縛っているもの」とは、「人間は、肉体感覚によってしか世界が見えないようなハンデーを負っている。」ということなのです。そして「壁面に映し出されている影」とは何か?それは「実在の世界である『イデアの世界』から投影されたもの」であり、その「投影されたものを、手掛かりにして、人間は洞窟の外にある『イデアの世界』に気づかなくてはならない。」というシグナルなのです。


 それでは「『イデアの世界』こそが、本当の世界である」ことを知ったがために、妄想狂の危険人物にされてしまった人とは、プラトンの師であるソクラテスのことでありましょうか?もしそうだとすると、洞窟の外にあった「実在の世界」(イデアの世界)のことを知ったソクラテスは、その「実在の世界」があることを、分かってもらおうと、人々に懸命に説いてまわったのに、「そんな世界は、眼に見えるものではないし、確認もできないので、そんな世界などは存在しないのである。」と決めつけられて、「実在の世界」のことは、人々に伝わらずに、逆に「ソクラテスは、人々を惑わしているトンデモナイ哲学者である。」と誤解されて、「あのような悲劇的な最期を遂げられてしまったのだ。」という、プラトンの嘆きが切々と伝わってくるような気がいたします。


 この「洞窟の比喩」にあるように、この世の、肉体の眼でしか、ものを見ることができない人間に、「イデアの世界」が実在していることを知らしめることは並大抵ではない苦労がつきまとうようです。時にはソクラテスのように命を落としてしまうようなことさえあるのでしょう。


 事実、このプラトンの「洞窟の比喩」が、二千三百年近く経た現代においても、「プラトンは、いったい何を譬えていたのであろうか?」と、未だに謎解きのごとく扱われていて、これに哲学たちが、各人めいめい勝手な解釈をするものですから、なおさら普通の人々には、「イデアの世界」を理解することが難しくなってしまっているのです。


 この「イデアの世界」に関して白鳥のプラトンは、「そもそも『哲学』というのは、古代ギリシャ人にとっては、『フィロソフィー』(知を愛する)ことなのです。『知を愛する』とは、『アレーテイア』(真理)を探究することです。『アレーテイア』(真理)とは、『ア』は、否定をあらわす冠詞で、『レーテイア』は、『忘却』という意味ですから、『忘却を取り去る』という意味です。わたしがいう『イデアの世界』というのも、この忘却を取り去って憶い出される『実在の世界』のことなのです。


 すなわち今まで隠されていた『イデアの世界』が明らかになることです。これは古代のギリシャ人たちが『〈真理〉とは、隠されていたものが明かになること。』と考えていたことと同じことなのです。ですから『世界の本質は、何であるか?』を探ろうとする哲学者たるものは、変化し、変転していく地上の世界の背後に、忘却の覆いによって隠されていた『イデアの世界』があることを気がつかなくてはならないのです。」


 「このように『フィロソフィー』(哲学)というのは、『イデアの世界』があることを前提として、『真理』を探究していくことなのです。それでは、『イデアの世界』とは何でありましょうか?このキー・ワードの謎が解ければ、わたし『プラトンの哲学』が分かるといっても過言ではないのです。『イデアの世界』とは、じつは『霊界』のことなのです。『霊界』のことを抽象化して哲学的に表現したのが、『イデアの世界』なのです。」と、はっきりと言われました。

 「なるほど、そーうだったのか、プラトンの言う『イデアの世界』とは、『霊界』つまり『あの世』のことであったのか?このキー・ワードの謎が二千三百年経っても解けなかったんだ。プラトンは、『霊界』が存在することを前提として『真理』を探究して、自分の『哲学』を構築していたのだ。」ということが、わたしにも初めて分かりました。


 では「哲学」が求めるもう一つのテーマである「人間の本質とは何か?また人間は、何のために生きるのか?」についても、白鳥のプラトンは、こう言っております。「人間とは、感覚的な肉体と、不変的な『魂』とを合わせ持った存在なのですが、その本質は、時間の中で朽ちていく肉体ではなく、『イデアの世界』(霊界)とつながっている不変的な『魂』の方であり、ここに理性も宿っているのです。


 この『魂』は、かつては『イデアの世界』(霊界)に住んで自由自在でいたのですが、魂修行のために、地上の世界に降りるためには、必ず『レーテイア(忘却)の河』を渡らなければならないのです。その『レーテイアの河』を渡ると、それまでの『魂』の記憶がすべて消し去られてしまって、人間の肉体に宿るわけです。」

 「しかしながら『魂』には、『イデアの世界』(霊界)での、かすかな記憶も残っていて、時には、それを想い出すことができるのです。これを『アナムネシス』(想起)というのですが、想起することによって『魂』は、『イデアの世界』(霊界)へのエロス(憧れ)を感じるようになり、肉体という囚われの身から自由になって、本来自分が住んでいた『イデアの世界』(霊界)へと還りたいと願うわけです。


 このような『イデアの世界』へのエロス(憧れ)こそが、人間にとって最高に純粋な愛であり、また知を愛する『フィロソフォス』たちが、その真・善・美の『イデアの世界』に到達してみたいという知的衝動を持つわけです。」


 「このように地上世界において、『イデアの世界』を想起できる人が、『フィロソフォス』(哲学者)と言われるに、ふさわしい人たちなのです。この『イデアの世界』が存在することを前提として人間は、自らの魂を磨きながら、社会のため、国家のために生きてゆかなければならないのです。わたしが『メノン』や『饗宴』、あるいは『パイドン』などの著作の中で語っていたのは、そのような真理だったのです。」と「プラトン哲学」の本質を述べております。

 この「イデアの世界」(霊界)というのは、じつは、プラトンより、先だつこと約二百年前に、インドに出た釈尊が説いた「この世は、はかない仮の世界にすぎない。あの世(霊界)こそが、あなたたちの本当の『実在の世界』である。人間は、生まれてくる前に、その『実在の世界』に住んでいて、自分たちの魂の修行と仏国土建設の目的のために、この世に降りてくるのである。そして、またいつか肉体を脱ぎ捨てて、もとの『実在の世界』へと還っていくものである。人間とは、このように永遠の『転生輪廻』をくり返している存在である。であるからにして、人間は、この世に、あまり執着を持つことは苦しみとなるだけであり、その苦しみを克服するためには、人間の本質が『永遠の生命を持っている魂である』ことを知り、本来住んでいた『実在の世界』のことを想い起こすことである。人々よ、まずこのことを悟りなさい。」という、プラトンと、まったく同じ『霊界思想』を説いていたことに気がつくわけです。


      20141217_1187759[1]
       
          釈尊

 このように、じつに不思議なことなのですが、人類の思想史には、洋の東西において、同じような「真理」が説かれていたのです。


 もっと詳しくはアマゾン、アップル、楽天の電子書籍『白鳥のプラトン』で。


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