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日本の運命を担った東郷平八郎と秋山真之②

  翌1905年(明治38年)「日英同盟」を結んでいたために地球半周の大回りの航海をしいられたバルチック艦隊が、マラッカ海峡からシンガポールに出現した5月19日を最後に消息がつかめなくなった。

 「敵艦隊は、日本海航路の『対馬海峡』を通るのか?あるいは太平洋航路の『津軽海峡』からウラジオストックに入ろうとしているのか?どちらなのか?

その航路予想に、日本連合艦隊は迷い始めた。

 島村速雄参謀長は、「対馬海峡説」を主張した。それを聞いた東郷司令官は、将官室で、島村の「対馬海峡説」を将官たちの前で述べさせた。

島村は、「敵に海戦というものを知っている提督が一人でもいるならば、必ず対馬海峡を通るであろう」と、断言した。

 この島村参謀長の自信のある発言によって、将官たちは、「対馬海峡説」に傾いた。東郷司令官は「では、ここで1日だけ待とうではないか」と、決断したのである。

 翌日、午前4時過ぎ「敵艦隊、対馬海峡に現れる」という信濃丸の通報によって、島村のバルチック艦隊の「対馬海峡説」は、見事に的中したのである。真之も、この時、身震いして喜んだ。

 じつは秋山真之は霊体質で、後に「とうとう海戦という段取りになったのですが、驚いたことには、敵の艦形が、三日前に夢で見せられたのと寸分の相違もありませんでした。戦争の勝敗について人智外の力を感じた」と語っているである。

 午後2時過ぎ、ついに日本連合艦隊の戦艦4隻をはじめとする26隻の艦船に対して、バルチック艦隊は、戦艦8隻をはじめとする50隻の艦船で、日本海海戦が始まった。

「本日天気晴朗ナレドモ波高シ」、「興国ノ興廃此ノ一戦ニ在リ、各員一層奮励努力セヨ」のZ旗が上がった。

 日本連合艦隊の東郷司令長官は、バルチック艦隊との距離を8千メートルに縮めてから、手はず通りに「東郷ターン」を取ったのである。

 バルチック艦隊側から見れば、突如取られた日本側の「東郷ターン」の意図が分からず日本艦隊は、気が狂ったのではないかと思って驚喜したという。nihonkaikaisenzucc[1]

 バルチック艦隊側が、旗艦三笠へ約300発の砲撃をしたが、ほとんど的中せず、横一線となった日本連合艦隊が、バルチック艦隊の先頭艦スワロフに集中砲撃を加えて、オスラビア、アレクサンドル3世と、次々にバルチック艦隊を撃沈させていったのである。

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約5時間に及ぶ日本海海戦の結果は、日本連合艦隊が、バルチック艦隊に壊滅的打撃を与えて、奇跡的大勝利したかたちとなった。

この間、東郷平八郎司令長官は、双眼鏡を見ながらデッキの上で、微動だにせずにたたずんでいたのである。これほど士気を鼓舞するものはなかった。

 秋山真之は、「日本海海戦の勝利は、英雄の力ではなく、全員が、その責務を果たしたからである」と、語っている。

 主任参謀である秋山真之に、国家の運命が託されるという、人間の思考力を超えたプレッシャーに、神仏に祈らざるを得ないという、人智を超えた天命というものが存在するのであろう。

 晩年、真之は、海軍機関学校教官の浅野和三郎との縁で、心霊研究にも没頭したと言われている。

 海軍では、日本海海戦での功績から、東郷司令官から「智謀湧くがごとし」と評価され、長らく秋山真之は、神格化された参謀として語られた。

 一方の東郷平八郎は、日露戦争の英雄となり、原宿の東郷神社に護国の神として祀られている。

 大川隆法総裁のライフリーディングでは、その「東郷平八郎が、再び日本に生まれ変わっている」というのである。完

 


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