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昭和の残像シリーズ⑦日本のインフラ整備は、角栄の遺産である

  昭和と言えば一番に思い出されるのは「昭和天皇」であるが、次にはダントツに政治家「田中角栄」であるそうだ。

 その「田中角栄」を書いた石原慎太郎著の『天才』がベスト・セラーになったが、石原慎太郎といえば、若い頃は福田派に所属していた田中角栄降ろしの急先鋒だったのである。

 その石原慎太郎が、角栄を「天才」と持ち上げているのだから、著者などは「えっ、そんなに世の中の角栄の評価が、ガラッと変わってしまったのか?」

「そうであるならば、なぜ角栄が生きていた時に、もっと理解と評価をしてあげなかったのか?」と悔やまれるのである。

 現在の小粒で、つまらない政治家が多い中で、「金権政治」、「闇将軍」と言われながらも田中角栄は、国民のために汗を流して働いたキンピカに輝いていた政治家であった。

       116061400915710793[1]田中角栄 

 第2東名高速道路や新三国トンネルが開通されるが、戦後「日本の新幹線などの鉄道網と東名高速道路などの高速道路網や三国トンネルや九州・四国・北海道を結ぶトンネルや橋などのインフラが、どのように整備されていったかを読者は知っているだろうか?」

 この日本の鉄道と道路と橋のインフラは、一人の政治家と、もう一人の官僚抜きには語れないのである。一人は田中角栄、もう一人は下河辺淳で、こちらはその名を知る人はあまりいないだろう。 

 田中角栄は、雪国だった故郷である新潟を、首都圏と遮断されていた三國峠にトンネルを掘り抜いて、国道17号線を通して、1982年11月に大宮駅から新潟駅までを結ぶ上越新幹線を開通させて、さらに1985年10月に練馬から長岡関越自動車道などの幹線道路を通して、地元の新潟県民に感謝された政治家である。

 角栄は、小学校卒の叩き上げの苦労人であったので、並大抵ではない「情の人」でもあった。政治家として、「人は、どうしたら動くのか?」、それは「感謝されることをすると、人は動く」ということを熟知していたのである。「政治家を志す人間は、人を愛さなきゃダメだ…政治の原点は、そこにあるんだ」とは角栄の信条である。

 1968年に角栄は、佐藤栄作総理の信頼を得て、自民党の幹事長に就任した。当時は高度経済成長のピーク時であったので、翌年に大規模プロジェクト構想の「第2次全国総合開発計画」が策定された。

 その内容は高速道路や新幹線、通信網など全国的なネットワークの整備と大規模工業基地などの産業開発プロジェクトである。

 「日本の再建の基礎は道路だ」という信念を持っていた角栄は「道路法」「ガソリン税法」「有料道路法」の「道路三法」を成立させた。これが日本の道路整備網の原点となって、その後の高度経済成長を支えたのである。

 1972年6月に田中角栄・著による『日本列島改造論』が発刊された。

 日本列島を高速道路・新幹線・本州四国連絡橋などの高速交通網で結び、地方の工業化を促進し 、過疎と過密化の問題を解決し、合わせて公害の問題も解決するという夢のようなプランであった。

              tanaka6[1]

 これは角栄が、自民党の都市政策調査会長として発表した「都市政策大綱」をベースとして、「工業再配置と交通・情報通信の全国規模のネットワークの形成をテコにして、人とカネとモノの流れを首都圏の都市から地方に逆流させる地方分散を推進する政策」であった。

 これを政権の公約に掲げて角栄は、一か月後の総裁選に勝利したのである。

 1973年の田中内閣時代に整備計画された新幹線5路線のうち、現在、北海道新幹線を除いては全通し、ここ数年のうちに大部分が完成を予定している。

 また本州四国連絡橋の3ルート同時着工の基本計画が決められたのも9月のことである。

 しかし、ここで思わぬ第4次中東戦争が起きて、日本は「オイル・ショック」に見舞われて着工は凍結・延期された。

 しかも旗振り役だった愛知揆一大蔵大臣が急死して、代わりに福田武夫になると、「総需要抑制計画」による経済安定を図ることが主流となって「列島改造論」の施策は大きく後退してしまったのである。

 6年後にとりあえず1978年10月に本州・四国架橋の児島・坂出ルートがやっと着工にこぎつけた。総工費は1兆1千3百億円で鉄道道路併用橋で、開通したのが10年後の1988年4月、いわゆる昭和の最後の年であった。 

 それらのインフラ整備を支えたのが、官僚システムである。中でも戦後の国土開発を担った官僚として元国土事務次官、下河辺淳氏がいる。

 「ミスター全総」と言われて、「一全総」から「五全総」まで、すべての開発計画を担って、これほど卓越した建設官僚は、なかなか出ないのではないかと思わせるような手腕を発揮したのが国土建設官僚の下河辺淳氏であった。

 さて大規模な交通網の整備は、大都市が持つ資本技術人材娯楽が地方にも浸透しやすくなったことは事実であるが、同時に逆流現象によって地方から大都市へ流通しやすくなったことで、大都市の一極集中化を招いてしまったのである。

 その高速道路は、地価の安い山岳地帯を通り、インターチェンジで大都市からの連結道路と結ばれた。通過予定の山岳地は建設ルート計画公表前にすでに大小のゼネコン・不動産業者によって買い占められた。

 しかもそのバックには角栄直系の政治家たちがいたのである。そして地価の上昇による利益やゼネコンへの工事配分の見返りとしての政治献金が行われるようになっていった。

 また「日本列島改造」による地域の開発に伴って環境破壊が続出し、全国で地価が上がり続けて、土地神話を定着させた。

 この公共投資が政・官財界の癒着の土壌となり、それが金権体質を生むことにつながったという負の面が出てしまった。

 角栄の「交通網の整備だけで、様々な問題が解決される」という発想は、あまりにも楽観的で土建屋の発想であるという批判が噴出した。

 この道路整備に隠れて知られていないのが、原子力発電の整備である。

 角栄は、第1次オイル・ショックの経験からアメリカの石油メジャーに大きく依存していた石油供給ルートを、より多様なルートに拡散させて、エネルギー危機に対処し、さらに石油依存から脱却するように原発を推進させたのである。

 1974年に、角栄は「電源三法」を成立させて原発の立地自治体には交付金などの形で資金が流れ込んで地域振興に使われるようになっていった。こうして角栄の出身地である柏崎市刈羽にも原発が建てられたのである。

 このように先見力、構想力、記憶力に優れていた角栄は「コンピュータ付きブルトーザー」というあだ名で、即断即決の実行力のある政治家でもあった。

 角栄は、実業家であったので、今の日本の政治家に欠けている大胆な発想とやり遂げるパワーを持った何よりも政治に収益性を持たらしたスケールの大きい政治家であった。角栄が「天才政治家」と言われる所以であろう。

 その後、日本の政治は「ロッキード事件」で角栄が逮捕されるなどの混乱を生んで、『日本列島改造論』のインフラによって「工業再配置と交通の全国ネットワークの形成」は停滞してしまったのである。

 しかし現在からみると、何だかんだと言っても、現在の日本のインフラ整備は、角栄や下河辺がいなかったら、これほど整備されることはなかったと言ってよいだろう。

 現在、国民は「長いデフレ不況から脱却して景気が回復して欲しいと切に願っているのであるが、どうも『アベノミクス』が消費税増税などで、成功していないのではないか?」という苛立ちがあるのである。

 いつの間にか1100兆円を超える財政赤字になっているのは、今の政治家や官僚が、ただバラマキをするだけで投資効果を考えた国家経営的な政治をしていないからである。

 今年の平成30年は大阪地震・西日本集中豪雨・台風の多発、さらには北海道地震まで起こった。

 それでも消費増税を10パーセントに上げることを政府は考えているようである。

 前回、消費税を8パーセントに上げてしまったのは、「アベノミクス」にとって失敗であった。それがなければ今頃は「デフレ不況」からした脱出したしていたはずである。

 それを教訓にするならば、安倍政権は2度までも同じ失敗することはあってはならないはずである。

 「天才政治家・田中角栄であれば、この状況をうまく変えて、何とか日本経済を発展軌道に乗せてくれるではずであろう」と期待するのである。

 筆者は「なぜ今、田中角栄なのか?」の答えは、ここにあると思うのである。続く

 

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