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昭和の残像シリーズ③東京裁判とサンフランシスコ講和条約






 

 東京裁判で、日本側の擁護にまわったインドのパール判事は、大川隆法総裁の『パール判事の霊言』で、「アメリカは『日本が侵略戦争をやった』って言うけれども、その前にアメリカだって、フィリピンを植民地にしたのは歴史的事実です。戦争裁判として、先に植民地にした人が、あとからそれを追い出した人を裁くというのは、どう考えたって理屈に合わないね。欧米の植民地化戦争は、もう四百年、五百年と続いていた。日本人が最後に、それに一見似ているかに動きをしたら、これだけ寄ってたかって、『黄色人種に権利なし、白人だけが植民地にできると言って、白人は無罪が当然であって、有色人種の外国侵略は犯罪だ』これは絶対におかしいよ。こういう裁判は成り立たないね。無効」と東京裁判の無効性を訴えている。

       Radhabinod_Pal[1] パール判事

 さらに「もし日本が戦わなかったら、インドは、まだ植民地のままですよ。間違いない。だってイギリス軍を撃退できなかったんだから。インドが独立できた理由は、やはり、そうは言っても、日本の『大東亜戦争の正義』が背景にあったのよ」と、被告人全員の無罪を主張している。

 またイギリスの6代の首相に仕えた軍事顧問のモーリス・ハンキーは「東京裁判は、戦勝国は、敗戦国を勝手に断罪してもよいという悪例を残した」と言っている。

 東京裁判で、日本の弁護団や証人が主張したのは、「ソ連という共産主義の脅威」であった。しかしソ連からの判事や検事を東京裁判に呼んでいたものだから、「ソ連共産主義の脅威」は、残念ながら、まともに取り上げられなかったのである。

 しかし東京裁判が終わって2年が経つか経たないかの1950年6月に朝鮮戦争が勃発したのである。

 その前には毛沢東による共産主義国家、中国の建国があり、かつての満洲もモンゴルも、そして北朝鮮までも、東アジアは、あっという間に共産主義の国家となってしまったのである。

 このように朝鮮戦争が始まるや、さすがにアメリカ政府も、マッカーサーも、日本が東京裁判で主張した通り、「大東亜戦争は、共産主義の脅威からの自衛の戦争であった」ことに気づいたのであった。

 占領軍司令官マッカーサーは、大川隆法総裁の『マッカーサーの霊言』で、「朝鮮戦争の時に、やはり日本が共産主義の防波堤にならないと危ないということが分かってきて、日米が、がっちりと組まなければ、ソ連と中国の共産主義運動が拡大してきて、世界中に広がってしまうという考えになったのです。日本を、あそこまで弱めたのは、間違いだったのではないかということで、日本に再軍備を命じたのも私です。」と、ソ連と中国の共産主義国家の拡大の脅威という、国際情勢の急激な変化によって、アメリカの対日政策が抜本的に変えざるを得なくなってしまったことを正直に語っている。

 朝鮮戦争によって東アジアの共産主義化の危機が深まり、日本を防共の盾にしなければならず、アメリカは、すぐさま日本を独立させて再軍備をさせるために、急遽「サンフランシスコ講和条約」を結ぶことにしたのである。

 しかし、もし日本が「サンフランシスコ講和条約」を結べば、アメリカ側につくことは明白であったので、すでにソ連のコミンテルンの指導下にあった国内の左翼の知識人たちや社会党や共産党などは反対して全面講和条約を主張したのである。

 このようにソ連などが反対していたので全面講和条約などできるわけもなく、講和条約を締結できなければ、日本は占領軍から独立できないという立場に陥るのである。

 そこで吉田茂総理は、多数講和条約を選んで、1951年9月にサンフランシスコ講和条約調印と同時に、日米の軍事同盟である「日米安全保障条約」にも署名したのである。

 これで日本は、やっとアメリカの占領下から独立できたのであった。

        200px-Shigeru_Yoshida_suit[1] 吉田茂総理

 しかしアメリカからの日本再軍備の要請の時が、憲法九条改正のチャンスであったにもかかわらず、吉田総理は、憲法改正をせずに「アメリカの番犬」に日本を守ってもらう道を選んだのである。

 それによって今日まで憲法九条の改正が引き伸ばされたのであった。続く




 

 






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