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昭和の残像シリーズ②占領軍マッカーサー総司令官、GHQによる日本弱体改革

 日本の戦後は1945年8月15日の「ポツダム宣言」の受諾から始まった。

 マッカーサーの占領軍GHQが、まず最初に行ったことは、戦前の日本の「国家神道による天皇制」を抑えるために、その機関を解体して、それに属していた人々を一挙に追放することだった。その代わりに戦前に虐げられていた左翼の人材を呼び戻すことであった。

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   占領軍マッカーサー総司令官

 驚くべきことだが、ルーズベルト大統領が、世界恐慌を克服するために行った「ニューディール政策」は、社会主義的政策であり、まだスターリンのソ連に対する恐怖感がなく、同盟国として、ソ連に親和性を持っていたのである。

 とりわけマッカーサーの占領軍GHQの民政局は、左翼の巣窟であった。すなわち民政局のホイットニー局長(准将)とケーディス次長(大佐)がバリバリの社会主義者であったことが、今では明らかになっているし、そのケーディス次長の右腕であったハーバート・ノーマンに至っては、コミンテルンのエージェントであったことが後に判明して、裁判にかけられそうになって自殺したほどである。

 GHQによる『ウォー・ギルト・インフォーメーションプログラム』によって「公職追放令」が行われて、軍部ちろんのこと政界、官界、財界、言論界、教育界などの約20万6千人がリストラの対象となった。

 この「公職追放令」のリスト作りの中心人物が、先ほどのノーマンであり、ノーマンは、カナダの宣教師として日本で育ったので、日本語も堪能で日本の事情もよく知っていたので、GHQにとっては必要人物であり、それに左翼系の経済学者の都留重人や歴史学者の羽仁五郎たちが協力したのであった。

 「公職追放令」の後に、敗戦によって戦前に追放されていた左翼系の学者やコミンテルンに通じているような教師たちが続々と大学に戻ってきたのである。

 このGHQによる左翼政策によって、教育界に左翼系の総入れ替えが起きてしまったのである。そして気がついたら日本の言論界と教育界は左翼一色となってしまったのである。これがGHQによる日本弱体改革の出発点なのである。

 先の大戦で、日本のような近代工業用の資源のない国が、あれだけの戦いをしたことにアメリカは恐怖心を持っていたのである。

 であるから日本に二度と軍事力を持たせないように先端的な工業の研究開発は許さず、重工業や軍事工業ももちろん許さない。

 国家に対する忠誠心や愛国心を失わせるために「国家神道」を解体させて、教育においては左翼思想や「自虐史観」を植え付けさせるという徹底した占領政策を取ったのである。

 後にマッカーサーは、本国の上院の軍事外交合同委員会で「日本は絹産業以外には、固有の産物は、ほとんどないのです。彼らは綿がない、石油の産出がない、錫がない、ゴムがない。その他実に多くの原料が欠如している。そしてそれらの一切のものがアジアの海上には存在していたのです。もしこれらの原料を断ち切られたら、1000万から1200万の失業者が発生するであろうことを彼らは恐れていました。したがって彼らが戦争に飛び込んでいった動機は、大部分が安全保障の必要に迫られて、自衛のために余儀なくされたものであったのです」と、証言しているのである。

 この占領軍最高司令官マッカーサーの証言は、大変重要であり、「自虐史観」に陥っている、すべての日本人が知るべきであり、また日本を誤解している世界の人々に知らせるべきものであろう。 

 1946年3月にアメリカの教育使節団が来日してきて、5月には「教員追放令」が公布された。そして教職適格審査が始まった。当時は70万人ぐらいの教員がいたが、密告が増えて、5200人が追放になった。それを見ていて約11万6000人が教職を去った。その約12万人の教職を埋めたのが、じつは左翼系の教師だったのである。

 まともな教師が追放されて、そのあとに左翼系が教師を務めたので、47年6月に「日教祖」ができて、当然ながら生徒には左翼思想の教育が行われたのである。

 これが後後の日本の教育界に「唯物論教育」の悪影響を遺すことになってしまったのである。

 この「日教祖」の議長が、槙枝元文だった時代は、「組合主義」で、統一ストを、めったやたらとやらせ、教育の現場を放り出すこともあったのである。

 「日教祖」には、社会党系と共産党系などの派閥があったが、いずれにしても皆親ソ派、親中派、親朝派であった。この「日教祖」を踏み台にして社会党の党員になり、そして議員になる者も多かったのである。

 新しく出来た大学にも、左翼系の教授が輩出するようになって、左翼系の教授から学んだ学生は、その教えを受け継いで左翼系の教授となる。

 またその弟子も同じ左翼系の教授となるという連鎖が続いたのである。その教え子たちは官僚となり、朝日や毎日といった有力な新聞社や講談社などの出版社やラジオやテレビなどのマスコミにも入っている。

 いわゆる「朝日・岩波系」と言われるような左翼系が日本の言論界を牛耳るようになっていったのである。続く

 

 

 

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