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明治国家を守った軍人シリーズ①203高地の戦いと児玉源太郎D

  乃木将軍の第3軍は、旅順要塞を攻撃したが、無謀な突撃を繰り返すのではなく、地下坑道を掘り進めて、そこに爆薬を設置して、要塞を地下から爆発させる作戦を取ったのである。

203高地が陥落し、さらに15日にこれまで旅順要塞を死守してきたコンドラチェンコ少将が掘られた坑道によって爆死したことは、ロシア軍に大きな打撃を与えた。

東鶏冠山北堡塁をはじめ、各地の堡塁が次々と陥落して、翌年の1月2日にロシア軍の旅順要塞の司令官ステッセリ中将が降伏して、約190日間に及んだ旅順攻防戦は終わったのである。203kouchi[1]

 しかし旅順要塞攻略における日本軍の戦死者は、合計約1万6000人、戦傷者は、約4万4000人という信じがたい数の犠牲者を出してしまったのであった。

 乃木第3軍司令官は、けして無能な将軍というわけではなかった。旅順要塞が大量のべトンに覆われた鉄壁な要塞であったことと機関銃など新兵器の威力によって、防衛する側の能力が格段に進歩していたことなどに留意しなければならない。

第1回総攻撃が失敗に終わった後に、28センチ榴弾砲12門を内地から持ってきて第2回総攻撃の戦線に投入したし、工兵隊が坑道を掘って要塞を爆破した。第3回総攻撃の時は、攻撃目標を要塞正面から203高地に変更したし、突撃して203高地の一角を占拠した。

 しかし全般として203高地を攻略できなかったことは事実として受け止めなければならず、近代要塞攻略戦とはいえ、死傷者の数が、あまりも大きかった。

乃木将軍を支える参謀・伊地知幸介や井上幾太郎などが、もう少し優秀な参謀であれば、これだけ203高地の攻略に、てこずることはなかっただろう。

だが面白いことには、乃木第3軍司令官が、兵士の多大の犠牲を顧みずに203高地を攻略したことで、ロシア軍の総司令官クロパトキンが、乃木軍を心理面で過度に恐怖して、奉天の大会戦で戦略的な判断を誤ることにつながるのであった。 

 児玉は、旅順攻略の任務が終わった4日目に、「俺の用は、これで済んだ」と、言い放って満州軍総司令部へ帰っていった。続く

 

 

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