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明治国家を守った軍人シリーズ①203高地の戦いと児玉源太郎B

 日露戦争の勝敗を決めた重要な戦いの一つが、旅順要塞の「203高地の占領」であった。この203高地から旅順港を見下ろすことができ、港内に逃げ込んでいるロシア太平洋艦隊を狙い撃ちできるからである。しかし最初から203高地を攻めたのではなかった。

 海軍の要請によって、この「旅順要塞の攻略」を、乃木将軍率いる第3軍、約6万4000人が任されて、ステッセリ将軍率いるロシア軍、約3万5000人が守る近代的な旅順要塞を包囲した。nogi[1] 乃木希典

 しかし旅順要塞は、ロシア陸軍によってべトンで周囲を固めた二龍山堡塁、盤龍山堡塁、松樹山堡塁、東鶏冠山堡塁など8個の半永久堡塁と、9個の堡塁間には深さ7メートルの堀が掘られて地雷と3重の高電圧の鉄条網が敷かれていた。 

 また砲台として6個の永久砲台と、装備火砲646門と機関砲119門を要する4個の角面堡を持ち、さらにそれをつなぐ塹壕からなり、あらゆる方角に備えた鉄壁の近代要塞となっていたのであった。

 このように強化されたロシア軍の近代要塞に関する事前情報は、ほとんど第3軍にもたらされていなかったのである。

 にもかかわらず、このロシア軍が立て籠もる近代要塞を、東京の総司令部が「旅順要塞を速やかに攻略せよ」という命令を下して、乃木将軍の第3軍は、第1回の総攻撃法を「強襲法」に選択したのであった。

 8月19日午前6時から380門の全火砲が東北の二龍山堡塁と東鶏冠山堡塁に向かって砲撃を開始し、これにロシア軍の守備隊が応戦して、両軍合わせて500門の火砲が撃ち合う激しい戦端が開かれたのである。

 2日間の砲撃戦の末、21日の早朝をもって総攻撃が実施された。第1師団は、3個大隊全滅の被害を受けながらも大頂子山を確保したが、目標の水師営南方堡塁の占領には失敗した。

 また第9師団は、1個旅団が壊滅する被害を受けるなど4日間の攻撃を続けて、12万発の砲弾を打ち尽くして、24日の午後4時に乃木司令官が総攻撃の中止を指令した。

 この第1回の総攻撃で、日本軍の戦死者は、何と5052人、負傷者は11884人にのぼり、これに対してロシア軍の戦死者は1500人、負傷者4500人という史上稀にみる凄まじい攻防戦が展開されたのである。

 第1回の総攻撃が失敗に終わった後に、東京湾要塞と芸予要塞に配備されていた旧式の28センチ榴弾砲12門が戦線に投入されることになった。前回を上回る427門の火砲による準備がなされたのである。 

 第2回の総攻撃は、二龍山堡塁と松樹山堡塁の同時攻略計が打ち立てられた。

 9月9日から工兵隊が龍眼北堡塁と水師営南方堡塁への坑道を掘り進み、10月26日から6日間、突撃隊が坑道を通って堡塁に接近し、至近距離から血みどろの白兵戦が展開された。

 東鶏冠山北堡塁を陥落して、その一角を占領するも、周囲からのロシア軍の射撃を受けて、戦線維持が困難になって退却を余儀なくされた。

 6日間戦って、31日に総攻撃を打ち切った。日本軍の戦死者は、1092人、負傷者は、2728人。対するロシア軍も戦死者は、616人、負傷者は、4453人となった。

 第2回の総攻撃もロシア軍の頑強な抵抗にあって、結局、旅順要塞を攻略できずに作戦は失敗に終わった。

 さらに第3回総攻撃は、11月26日から開始され、二龍山堡塁、東鶏冠山堡塁、松樹山堡塁への正面攻撃を繰り返したが、各師団は、ことごとく撃退され、さらに26日の月夜に、各師団から有志の志願兵2600人による白襷隊の突撃が敢行された。

 しかし目標の松樹山第4砲台西北角には幾重にも張り巡らされた鉄条網があり、その切断作業中に側背よりロシア軍に攻撃を受ける。

 白襷隊は、なおもひるまずに突入するが、前方に埋めてあった地雷により、前線部隊は、ほとんど全滅し、後続部隊も奮戦するが、死傷者が相次いで、白襷隊は旅順要塞攻撃の壮絶なる展開であったが、この奇襲も失敗した。

 28日に乃木司令官は、攻撃目標を要塞正面から西方の203高地に変更し、28センチ榴弾砲全砲をもって砲撃の後、歩兵が突撃して203高地の西南山頂を占拠した。

 そこを観測所にして、28センチ榴弾砲を旅順艦隊に砲撃して3隻を大破させた。

 日本軍の攻撃目標が203高地に切り変わったことを察知したロシア軍は、他の要塞から増援部隊を送って逆襲に転じた。29日の夜にはロシア軍に奪還されてしまった。

 このままの旅順要塞攻撃では、いたずらに死傷者が増えるばかりで、インド洋経由で、こちらに向かっているバルチック艦隊が到着してしまう。

 そうなれば旅順港に停泊しているロシア太平洋艦隊と合流して、2倍の海軍力となってしまうと、朝鮮半島海域の制海権を奪われて、日本からの兵站が途絶えてしまう。

 それは満州に展開している日本軍が、腹背に敵を受けて敗戦することを意味していたのであった。

 この悪状況を見て児玉源太郎参謀次長は「俺が、旅順に行くしかない」と決断した。続く 

 

 


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