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明治維新150年シリーズ⑨陸奥宗光とタレーランB

  「タレーラン」というと、岡崎琢磨の推理小説『珈琲店タレーランの事件簿』を想い出す人もいるだろうが、一杯の珈琲が、事件を解き明かすというストーリー設定である。

 そのもととなった名前は、フランスの外交家で美食家のタレーランが「カフェ、それは悪魔のように黒く、地獄のように熱く、天使のように純粋で、そして恋のように甘い」と表現した、コーヒー通のタレーランから取ったものである。

    106203[1] 

        タレーラン

 タレーランは、フランス革命から、第一帝政、復古王政、7月王政までの政治家で外交官である。ウィーン会議ではブルボン家の代表となり、以後も首相、外相、大使として活躍し、長期にわたってフランス政界に君臨した人物である。

 若い頃のタレーランは、父の指示で、聖職者の道に進んでいる。ブルゴーニュのオータン司教となって、1789年に三部会の第一身分(聖職者)議員に選出され、司教でありながらも教会財産の国有化という反カトリック教会的な政策を推進した。

 1790年にタレーランは、国民議会議長に選出されると司教職を辞職して政治家に転身した。

 1792年、外交使節としてイギリスに派遣されるが、フランスではジャコバン派による恐怖政治が吹き荒れて、ルイ16世を処刑したことによってイギリスは「対仏大同盟」を結成したので、イギリスを追われてアメリカに亡命した。

 1794年7月に「テルミドールの反動」によってジャコバン派が没落して、総裁政府が成立すると、タレーランもフランスに帰国して、当時愛人だったスタール夫人の口利きによって総裁政府の外相となる。

        images[8] スタール夫人

 またタレーランは、前外相のドラクロワ夫人とも不倫関係にあって「有名な画家ドラクロワが、隠し子と噂されているが本当のところはどうであろうか?」

 この頃タレーランは、歴史を変えることになる一人の青年士官と知り合いになる。それが後のナポレオンであった。

 1799年に外務大臣を辞職して、ナポレオンの「ブリュメール18日のクーデター」の陰謀に参加して、成立した統領政府で、再び外相となり、リュネビィルの和約およびアミアンの和約の成立に貢献して、その外交手腕をナポレオンから高く評価された。

 ナポレオンの皇帝即位後は、侍従長も兼ねたが、ヨーロッパ列強の勢力均衡を図ろうとするタレーランの考えと、ナポレオンのヨーロッパ支配の拡大戦略とは相いれずに1807年に外相を辞任した。

 ナポレオンとタレーランは、互いに天才的な軍事力と外交力の才能を認め合ったが、必ずしもに親密な関係ではなかったといえる。

 そのような訳でタレーランは、元老院議員につくも、1814年、ジョゼフ・フーシェとともにナポレオンの失脚を計画し、その陰謀の容疑でナポレオンの怒りを買って政権側から離れた。

 1814年にナポレオンが失脚すると、今度は連合国に請われて臨時政府の代表となり、ルイ18世の即位後は、3度びフランスの外相となって、ウィーン会議に出席した。

 この会議では、正統主義を唱えて列強の利害対立を利用する巧み外交戦略で、フランスの国益を守った。

 1815年の「ナポレオンの百日天下」の時は、パリを離れたが、ワーテルローの戦いの後に戻ってきて、一時、首相にもなったが、過激王党派にフランス革命期の政治家活動を非難されて失脚した。

 やがてルイ18世やシャルル10世が、絶対王政に戻そうとして、次第に議会と国民から離れていくと、タレーランは、立憲君主主義者として、オルレアン家のルイ・フィリップを担ぎ出して、1830年に「7月革命」が起こり、ルイ・フィリップが国王に即位すると、タレーランは、75歳でイギリスの駐在大使を歴任して1834年まで外交官を務め挙げた。

 84歳まで長生きして、1838年に肺壊疽により死去し、自らの居城だったバランセ城近郊にあるノートルダム礼拝堂に埋葬された。

 タレーランは、よく変節の外交家として扱われることも多いが、あの目まぐるしいフランス革命の政権交代の時期に、巧みな外交力で生き抜いた外交官として、メッテルニヒとともに「外交の天才」とも言われた。

 タレーランの外交遺産は、何といっても長年の対立関係にあったイギリスとフランスの同盟関係を固めて、以後200年間にわたる両国の協調関係の基礎を創ったことである。

 その結果、フランスの第一次世界大戦と第二次世界大戦の勝利に結びついている。こんな名外交官は、歴史上に、なかなかいるもんではない。

 今でもヨーロッパでは、交渉の卓越したものの代名詞として「タレーラン」が、よく使われている。けして珈琲店の名前だけではないということである。

 タレーランは、「私がどんな人間であったか、何を考えていたのか、何を望んでいたのか、それを数世紀間にわたって論議してもらいたいのですよ」。

 「私は、不道徳漢で、権謀術数の徒であるとみられているが、実は、物事に動じないで、人間を見ていただけなのだ」と本人は言う。

 「私は、ナポレオンを裏切ったり、陰謀を企んでいたことはない。私自身が、人生において策略を用いたとすれば、フランス人が共犯であった時に限られるのであり、私は救国を望んでいたのである」という言葉に、外交家タレーランの政治的信条が残されている。

 さあ「『陸奥宗光とタレーラン』の外交ブレンドの味は、いかがでしたでしょうか?二人の人物には何か共通したところが伺えましたね。

 このように生まれ変わりを研究すると、個性は違っても本質的に同じ魂の傾向性や能力を持っていることが伺える。これは、じつに妙味だと思いませんか?」  完

 

  

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