FC2ブログ

記事一覧

明治維新150年シリーズ④「西郷どん」を支えた薩摩藩家老・小松帯刀A

  今年の「明治維新150年」を飾るNHK大河ドラマは「西郷どん」である。この西郷隆盛と大久保利通は「維新の3傑」に入っているので、あまりにも有名であるが、薩摩藩にはもう一人「明治維新」の隠れた立役者がいるのである。大河ドラマ「天璋院篤姫」で準主役になった薩摩藩家老の小松帯刀清廉である。

               imagesLS97PQQF.jpg

       小松帯刀(たてわき) 

 幕末に日本に来たイギリスの外交官アーネスト・サトーが「私の知っている日本人の中で、最も魅力的な人物である」と、その著書に記している。

                  200px-YoungSatow[1]アーネスト・サトー 

1870年(明治3年)に、36歳の若さで病死しているので、西郷隆盛や大久保利通の陰に隠れて、それほど有名ではない。しかし小松帯刀は、まぎれもなく「維新の十傑」に数えられているほどの、幕末に獅子奮迅の活躍した志士である。

 著者も「小松帯刀は、『明治維新』を成功させた隠れた最大の功労者であったのではないか?」という気がしてならない。「もし薩摩藩に家老・小松がいなければ、果たして西郷や大久保が、あれだけ力を発揮できたであろうか?」と思うからである。 

 1861年に小松は、薩摩藩主・島津忠義の後見人である久光に才能を見出されて側近となり、大久保利通とともに藩政改革に取り組んだ。

 1862年には久光の上洛に随行し、帰国後には28歳という若さで薩摩藩の家老に就任した。小松の本格的な活躍は、ここから始まるのである。 

「薩英戦争」に敗戦した後、イギリス海軍との軍事力の差をまざまざと知った小松は、集成館を再興して蒸気船機械鉄工所を設置している。また長崎にも出向いてグラバー商会から最新式の武器を購入して薩摩藩の軍備の西洋化に取り掛かっている。

 さらに小松は、イギリスの公使パークスをわざわざ薩摩に招いて、久光と引き合わせて、薩摩藩への理解と協力を取り付けている。それのみならずイギリスに学ぶために、グラバー商会を通じて五代才助ら俊英17名を秘かに留学させているのである。サトーが小松を「最も魅力的な日本人」と評価しているのは、このような積極的な開明さであるかもしれない。

 しかも驚くことに小松帯刀は、「薩長同盟」の必要性のを早くから考えていた人物の一人である。薩摩藩の家老であるにもかかわらず、長州藩の桂小五郎や伊藤俊輔や井上聞多とも太いパイプを持ち、井上と伊藤を長崎の薩摩藩邸にかくまってグラバーと引き合わせ、その後、井上を鹿児島へ伴って「薩長同盟」の予備交渉を行っていたのである。

 また幕府の神戸海軍塾が閉鎖されたので、勝海舟から「土佐藩脱藩浪士の坂本龍馬と、その塾生たちの面倒を見てくれ」と頼まれたのが、きっかけで、龍馬と親しくなり、亀山社中の設立にも尽力している。

 そして幕府軍による第2次長州征伐の折には「これは大義がない戦いである」として薩摩藩からの出兵を拒否した。またこれまでの長州藩との、わだかまりを払拭するために、薩摩藩名義で最新式のミニエー銃やゲベール銃を約に7300挺を購入することを許可して、亀山社中を通じて長州藩に武器供与をしているのである。

 その上で1866年1月21日に京都の二本松における小松帯刀邸で、龍馬の仲介のもとに西郷隆盛と桂小五郎が話し合って「薩長秘密同盟」の締結が行われたのである。

 この「明治維新」成立の流れを確定させた「薩長秘密同盟」にも小松帯刀が大きく関与していたのであった。

 おまけに「伏見・寺田屋事件」の難に会った龍馬を薩摩藩の伏見藩邸にかくまい、刀傷の治療のために鹿児島の塩浸温泉に湯治させて、お龍の世話までもしている。

 後に近江屋で龍馬が暗殺された時に「薩摩藩黒幕説」が上がったが、それは筋から言っても、全くあり得ないことである。続く


スポンサーサイト



コメント

コメントの投稿

非公開コメント

プロフィール

安田一悟

Author:安田一悟
FC2ブログへようこそ!

アクセスランキング

[ジャンルランキング]
政治・経済
296位
アクセスランキングを見る>>

[サブジャンルランキング]
その他
79位
アクセスランキングを見る>>

来場者数