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明治維新150年シリーズ②薩長秘密同盟成立「これで天下の事は、もはや成った」

「明治維新」に欠かすことができない「薩長秘密同盟」の成立について書こう。

「薩長連合」というのは、何も坂本龍馬の独創的構想ではない。「幕末」も押し迫った当時、薩長以外の志士たちの間では「薩長が手を握りさえすれば、幕府は倒せる」と誰もが思った公論であった。

公家の岩倉具視も、龍馬の盟友の中岡慎太郎も思ったし、そのための奔走もしてきた。しかしその大難事を「いかにやってのけるか?誰が犬猿の仲の薩摩と長州を説得させて手を結ばせるか?」が課題であった。

 薩摩の事情は、長州と、これ以上戦いたくないし、倒幕したいが、その矢面に出たくない。長州の事情は、幕府軍を迎え撃つために鉄砲など武器がほしいが、幕府から武器の購入を禁じられている。

 この両藩の事情を鑑みた龍馬は、亀山社中で薩摩名義で鉄砲を購入し、その鉄砲を長州に送ればよいという妙案を考え付いた。

 これで長州としては軍備を整えることができ、薩摩としては、長州を隠れ蓑にしながら倒幕ができることになった。

 しかし、それで、すぐには「薩長同盟」ができるわけではなかった。1度目は、中岡慎太郎がは薩摩の西郷を桂や高杉の待っていた下関に連れてきたが、西郷は「京都で火急の用事が出きた」とドタキャンしたのである。この時点では薩摩の藩論をまとめきれなかったと言われている。

 2度目は、幕府軍による第2次長州征伐(1866年6月)が迫っている中で、桂と西郷の会談を、薩摩の二本松屋敷にと、龍馬たちがお膳立てした時であった。

 しかし10日間経っても両藩とも未だに「薩長同盟」の話は、切り出すことはなかった。

この件を司馬遼太郎の小説風に語るならば、

龍馬は、遅ればせながら伏見寺田屋から、桂らが逗留していた薩摩藩家老の小松帯刀邸に着いて、事の次第を知った。

 龍馬が「この間、おまんらは一体何をしていたのだ?」と桂を問い詰めた。

     snapcrab_noname_2015-6-10_21-35-37_no-00[1]

 「馳走ばかり食っていた」と桂は言う。

 龍馬は「薩摩が同盟の話を切り出さぬならば、なぜ長州が先に切り出さぬのか?」と、桂に詰問した。

 桂は「それは言えぬ。長州は、今天下に孤立して、朝敵の汚名を着せられ、幕府の追討を受けて、藩の四境には幕府軍が迫ってきている。この立場にある長州かせられ薩摩に同盟など切り出すことができると思うか?これでは薩摩に援助を哀願するようなものではないか」と、悲痛な面持ちで弁明した。

 これを訊いた龍馬は「長州がどうした?薩摩がなんじゃい。おまんらは、まだ藩なるものにこだわっておるのか?我々脱藩浪士が身命を顧みず、『薩長同盟』に東奔西走してきたのは何のためだったのか?それは日本の未来のためではないか。君にせよ、西郷にせよ、それでも日本人なのか?」と度を失うほど怒った。             

 それでも桂は「もはや長州の命脈はいくばくもない。しかし薩摩が生き残って倒幕に奮闘してくれれば天下の為に幸いである。我々は交渉を打ち切って長州に帰って幕府の大軍を迎え撃つことになるが、長州が滅ぶとも悔いはない」と言い放ったのである。

 龍馬は、この桂の言葉を聞いて、立ち上がり、凍てつく深夜の京の街を駆け抜けて、薩摩の二本松屋敷に駆け込んだ。さっそく寝入っていた西郷を起こしてもらって、桂との委細を話した。

 「桂君の話を聞いて、わしは涙が出て止まらなんだ。西郷君、これでは長州が可哀想ではないか?」この龍馬の一言が、西郷の心を動かしたのだ。

         西郷隆盛肖像-3[1]

「分かりもした。坂本君の申されるとおりである。『薩長同盟』の話は、当藩より長州に申し入れしましょ。早速、締盟の日は、明日にしましょ」と即座にのだ決断した。

 しかし龍馬は「今、長州人の心は傷ついている、であるから彼らが逗留している小松邸を締盟の会場とし、薩摩が出向いていく、という形をとってはどうか?」と、提案した。

 西郷は、家老の小松帯刀と相談し、許可を得て応諾した。

 翌日の1866年1月21日、朝の10時前に一同、小松邸に顔を揃えた。

薩摩側は、西郷隆盛、大久保利通、小松帯刀、吉井幸輔、島津伊勢、桂久武、奈良原繁

長州側は、桂小五郎、品川弥二郎、三好軍太郎

調停役の土佐は、坂本龍馬、池内蔵太、新宮馬之助の海援隊と、陸援隊の田中光顕である。

 話し合いで薩長の盟約は、攻守同盟とすることが決まった。20100511_915467[1] 「薩長秘密同盟」の誓約書・坂本龍馬が桂小五郎の求めで朱筆で裏書きした第1級の資料である

 その第1項は、幕長戦争になったとき、薩摩は中立を擬装しつつ、すぐさま国元より兵2千を京都に差し上らせ、既に在京している兵と合流して、強力な軍事勢力を保持すること。

 第6項は、今日より、薩長双方、心を合わせて、朝権ご回復の相尽力すべきこと書かれてある。

 「これで天下の事は、もはや成った」と、その場にいた薩長土の藩士の誰もが喜んだ。「明治維新」へ大きく回天した瞬間であった。

 この「薩長秘密同盟」が結ばれた5か月後に第2次長州征伐が始まったが、薩摩藩は、幕府による出兵の要請を拒否し、長州藩は、元込めのミニェ―銃4300挺などの軍備を整えて、幕府の大軍を四境に迎え撃退したのであった。

 とくに「薩長秘密同盟」の第1項は、効力を発揮した。京都に薩摩の3千の軍事勢力を集結させたことによって、幕府側に軍事的脅威を与えつつ、朝廷を取り込んで軍事クーデターを起こして、「王政復古の大号令」によって「明治維新」を成し遂げてしまったからである。

 もし坂本龍馬のような「やってのける者」がいなかったら「明治維新」は、もっと遠のいていたであろうと思うと、「薩長秘密同盟」の歴史的意義は大きかったのである。完


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