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日本人よ、驚くことなかれ、「日本文明のルーツは、ムー文明であった」

平昌冬季オリンピックのフィギュアスケート男子の羽生結弦が金メダルを取った。ソチオリンピックに続いて2連覇である。昨年11月に右足首の靱帯損傷という大けがをしていたので、今回は無理だと思われていたのが優勝したので、なおさら感動が、すごかった。羽生選手は、7年前の東日本大震災で被災した仙台市出身で、彼を支えたのが、この被災体験であったという。まるで不死鳥の象徴のような存在である。

将棋の中学生である藤井聡太6段の朝日杯優勝といい、この頃の若い日本人の活躍は、何か良い未来を予感させるような出来事である。

さて戦後の日本人は、長らく間違った「自虐史観」に打ちひしがれてきた。それがGHQによる「ウォー・ギルト・インフォメーション」政策と、戦後の唯物論的歴史教育だとは知らずに「自虐史観」を教えられてきたのである。

加えて中国や韓国などによって、大東亜戦争が日本の戦争犯罪だったとして、執拗な「罪悪史観」のプロパガンダが行われて、日本人が苦しめられてきたのである。しかしその悪夢から、そろそろ目覚める時がやってきたのである。

それはどういう事かと言うと、戦後の我々が教科書で習った日本の歴史というのは、せいぜい2世紀頃に「弥生式文化」が起きて、その前は長らく「縄文式文化」であった。さらに、その前は「石器時代」という原始時代であったと教えられてきた。

しかも『古事記』や『日本書紀』などに出てくる神話の時代が、戦後の教科書に取り上げられていないので、中国の『魏志倭人伝』などの文献に頼って、2世紀に北九州の福岡湾の沿岸にあった「奴国」や3世紀にあった女王・卑弥呼の「邪馬台国」が歴史に登場してくるので、日本は、それぐらいの長さの歴史しかなかったように見られていた。

しかし最近分かったことであるが、日本の歴史は、そんな浅いものではない。まだまだ古く、そのルーツを探っていくと、驚くことなかれ、今から一万五千年前、南太平洋上に存在していた伝説のムー帝国までさかのぼることができるのである。

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それは大川隆法総裁の『オオヒルメノムチの霊言』から、日本の超古代文明が明かされたことで、あきらかになったことである。「オオヒルメノムチ」というのは、『日本書紀』に記されている女神である。天照大神の別名と思われていたが、もっと古く、5、6千年前の日本に生まれた「日の神に仕えていた巫女」である。

その「オオヒルメノムチの霊言」によると、「日本文明」は、中国や韓半島から由来した文明ではなくて、「一万五千年前まで南太平洋上に存在していた『ムー文明』の流れを継承している文明である」という。

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「ムー大陸」については、イギリスの考古学者チャーチワードが「伝説の大陸が、実在の大陸であった」ことを紹介している。そのチャーチワードは「日本がムーの文化圏である。ムーの最も有力な証拠は日本にあるはずだ」と言い残している。また地球物理学者で、科学雑誌『ニュートン』の編集長であった竹内均氏も、ムー文明の存在を認めている本を発刊している。

近年「ムー大陸やムー文明が存在した」という仮説が、海底遺跡」などの調査によって確認されるに及んで、にわかになどムーが実在性を帯びるようになってきた。  

   チャーチワード    竹内均

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「ムー文明」は、太陽信仰とピラミッド・パワーによって栄えた先進的科学技術文明」で、その末期には、地殻変動の大異変が起こって、三段階にわたる大陸の沈下によって海没したと言われている。 

ムーの海底神殿遺跡と思われるものを与那国島沖で潜水調査中

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その際にムー大陸を船で、かろうじて脱出したムー人たちが、日本列島の南九州にたどり着いて、日本人の源流になったとされている。彼らが持ってきたのがムーの残された文化や技術である。

このように「日本文明」は、「ムー文明」をルーツとした、少なくとも一万年にさかのぼる歴史を持っていたのである。このことに、まず日本人は驚かなくてはならないだろう。

そもそも日本列島が、大陸から分離して「大八洲」として存在するようになったには、少なくとも20万年前であった。そして日本としての文明の意識を持つようになったのは、約3万年前である。群馬県の岩宿遺跡などには、その頃に使っていた磨製石器が発掘されているのである。

ということは「日本文明」は、世界の4大文明にも劣らぬ古い文明を持っていたことになる。

すなわち日本の文明は、これまで言われていたような、大陸の中国や朝鮮半島から来た北方系の文明ではなく、ムー大陸から来た南方系の文明であったので、南九州から日本列島全体に発展していったものである。そのことを裏ずけるものに、宮崎県には西都原古墳群があるが、そこから出てきた遺跡物は、明らかに南方系のものである。

しかしここで「日本は、中国由来の漢字を使っているではないか?これはどうなのか?」と疑問が出てくるであろう。

確かに日本語は、漢字を使っているが、それは明治時代に英語が入ってきて、今もカタカナ表記で使われているようなものである。

つまり日本語には漢字が使われているが、これはそのまま表記されているのではなく、従来の大和言葉の平仮名がベースとして文章が組み立てられているのである。それに日本語は、中国語のように倒置法の文法ではないのである。

したがって漢字は、英語のように、日本の言葉として受容され、同化されて使われてきたに過ぎないのである。その前の日本の言葉は「秀真文字」(ほつま)として残されていて、元はムーからきた言葉で、日本列島に入ってきて、固有に変化したものである。

また稲作も、ムーの時代からなされていて、日本に伝わってきたものである。南方ではイモ類を食べる習慣があったので、畝を作ってタロイモやサツマイモやジャガイモを作っていたのである。それを粉にしてさらして、薄いパンみたいにして焼いて食べていた。たんぱく質の食べ物は、海が近いので魚は豊富に取れて、動物も多かったので、食料に困るということはなかった。

また衣料として麻や木綿を織る技術もあった。

住居として、家は木で作り、増水時に耐えられるような高床式のものがあった。

鉄や銅の精錬技術も、すでにムーの時代にはあったので、技術力は多少落ちていたが、武器や農機具などもあった。

造船技術や航海術も、それなりのものがあって、南九州から潮流に乗って日本海沿岸を伝わって北海道まで行き、次には太平洋に出て、太平洋沿岸川南九州に戻って日本列島を一周することができたという。

さらには日本文化をバックボーンとして貫いてきた「日本神道」は、ムーの「太陽信仰」から由来している宗教で、合掌、お辞儀、柏手、正座などの礼儀作法として現代にも伝わっているのである。

このように「日本文明」は、一万五千年前まで南太平洋上に栄えていた「ムー文明」から来たものであることが判明されたのである。日本人は、そのムーの末裔なのである。その後に大陸の中国や朝鮮半島から文化や技術が流入してきたのである。

これからは「日本文明のルーツが、ムー文明だった」ことを裏つけるような証拠が、次々と発見されてくるであろう。これまでの歴史の常識が覆るとは、このことであろう。

「日本文明」は、アメリカの歴史学者ハンチントンの言うように、それ自体に独自性を持っていて、世界でも古い文明として誇るべきものである。   imagesUMBLDIP2.jpg 歴史学者ハンチントン

これを分かりやすく例えるならば、「日本人は、醜いアヒルの子ではなくて、本当は白鳥の子だったのである」

すなわち「日本文明」は、「ムー文明の正統なDNAを持つ、現代に再興された文明」だったのである。

したがって中国や韓国の言うような「すべての文明は、大陸から来たもので、日本は、その末流に当たる」というような、これまでの間違った「サヨク自虐史観」と訣別すべきであり、日本人は、もっと日本独自の文明に誇りと自信を持つべきであろう。

「偉大なる文明国・日本」という自覚があってこそ、「日本は、世界に精神的価値を持ったオピニオンを発信でき、もっと世界に貢献できるのではないだろうか?」

日本は、そのような国力相応の使命を、世界に果たしていくべきである。なぜならば日本は、かつての「ムー文明」のような誇り高い文明を継承している国だからである。 完

 

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