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記事一覧

アメリカ・トランプ大統領と日本の安倍総理は一蓮托生

  9月23日に国連総会に出席するためにニューヨークに到着した安倍総理は、早速トランプ大統領に出迎えられて、トランプタワーで夕食会が行われた。予定していた1時間を大幅に上回って約2時間半に及んだ。    しかも夕食会は地下のレストランで予定されていたが、安倍総理が案内されたのは最上階のトランプ大統領の私邸であった。  客間で30分以上話して、隣接するバーに移して夕食を共にした。トランプ大...

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昭和の残像シリーズ⑦日本のインフラ整備は、角栄の遺産である

  昭和と言えば一番に思い出されるのは「昭和天皇」であるが、次にはダントツに政治家「田中角栄」であるそうだ。 その「田中角栄」を書いた石原慎太郎著の『天才』がベスト・セラーになったが、石原慎太郎といえば、若い頃は福田派に所属していた田中角栄降ろしの急先鋒だったのである。 その石原慎太郎が、角栄を「天才」と持ち上げているのだから、著者などは「えっ、そんなに世の中の角栄の評価が、ガラッと変わってし...

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昭和の残像シリーズ⑤「あの三島事件とは何だったのだろうか?」B

 筆者の記憶を取り出しても、当時の「安保反対」の世の中の雰囲気というのは、「敗戦した日本に共産主義革命が起きるんではないか?」という漠然とした不安が確かにあった。  三島は、「もしアメリカの占領軍が引き上げて、代わりにソ連軍が日本に侵略してきたら、共産主義革命が起こって大規模な粛清が行われるかもしれない。その粛清の対象となるのは、インテリの、誰が何を書き、何を言ったかで決まるであろう。であるから...

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昭和の残像シリーズ④60年代安保闘争の岸信介総理と丸山真男

 岸信介氏は、日本の高級官僚で、戦後はA級戦犯として巣鴨プリズンに入っていて、出所後、政治家に転身して9年目で総理大臣に上り詰めた人である。   左翼マスコミには「昭和の妖怪」と書き立てられていたが、その岸信介総理の時に直面したのが「安保闘争」である。 「安保闘争」とは、1960年1月に調印し、6月に成立した「新日米安全保障条約」という軍事同盟の延長に反対した運動のことである。  196...

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昭和の残像シリーズ③東京裁判とサンフランシスコ講和条約

  東京裁判で、日本側の擁護にまわったインドのパール判事は、大川隆法総裁の『パール判事の霊言』で、「アメリカは『日本が侵略戦争をやった』って言うけれども、その前にアメリカだって、フィリピンを植民地にしたのは歴史的事実です。戦争裁判として、先に植民地にした人が、あとからそれを追い出した人を裁くというのは、どう考えたって理屈に合わないね。欧米の植民地化戦争は、もう四百年、五百年と続いていた。日本人...

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昭和の残像シリーズ②占領軍マッカーサー総司令官、GHQによる日本弱体改革

 日本の戦後は1945年8月15日の「ポツダム宣言」の受諾から始まった。 マッカーサーの占領軍GHQが、まず最初に行ったことは、戦前の日本の「国家神道による天皇制」を抑えるために、その機関を解体して、それに属していた人々を一挙に追放することだった。その代わりに戦前に虐げられていた左翼の人材を呼び戻すことであった。             占領軍マッカーサー総司令官  驚くべきことだが、ルーズベ...

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昭和の残像シリーズ①祖国愛、瀬島龍三の謎生きB

 設置されたばかりの自衛隊に就職するように友人の原四郎から再三の誘いを受けたが、長女が反対したために瀬島は断念した。   58年に伊藤忠商事に入社すると、3年目には業務本部長に抜擢され、翌年には取締役本部長、半年後に常務となる。とんとん拍子に出世していった。  その後も様々な案件で瀬島氏は、重要な役割を果たしている。1968年には専務、1972年に副社長、1987年には会長に就任して、伊藤忠商...

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昭和の残像シリーズ①祖国愛、瀬島龍三の謎生きA

 「昭和の生き証人」の瀬島龍三氏が亡くなったのは、もう11年前の、2007年9月5日のことである。山崎豊子の『不毛地帯』の主人公・壱岐正中佐のモデルと言われた人物でもある。            瀬島龍三  瀬島氏は、11年間の厳しいシベリア抑留から帰還して、伊藤忠商事の会長にまで昇り詰めて、第2次臨調の参謀役や中曽根内閣のブレーンとなって政財界で活躍した人物である。  瀬...

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明治国家を守った軍人シリーズ⑤陸軍の大山巌B

 翌年、明治天皇が北陸・東海地方巡幸された時、大山も同行を命じられた。天皇は、大山に言った。「私は、西郷に育てられた。今、西郷は賊名を着せられ、さぞ悔しかろうと思う。私も悔しい。西郷亡き後、私は、そなたを西郷の身代わりと思うぞよ」と。 大山は「もったいないお言葉でございます。全身全霊を陛下に捧げる所存でございます」と答えるのが、やっとだった。しかしこの時の明治天皇のお言葉で、「自分は、兄さぁの代わ...

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明治国家を守った軍人シリーズ⑤陸軍元帥大山巌A

  大山巌は、1842年12年10日、鹿児島城下加治屋町に大山彦八の次男として生まれている。西郷従道とは、従兄弟同士であり、ほぼ同じ頃に、同じ町内に生まれたことになる。その顔や風貌が「ガマ」に似ていることから「ガマ坊」というあだ名で、陸軍大将元帥まで上りつめたのであった。  しかし弥助と言われた若い頃は過激で、1862年に有馬新七らの「寺田屋事件」に参加したが、公武合体側に鎮圧され、弥助は投...

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安田一悟

Author:安田一悟
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