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明治維新150年シリーズ⑦利助の大出世B

 明治維新以後、俊輔は「伊藤博文」と改名して、長州閥の有力者として、英語力を買われて、外国事務総裁の東久世通善に見出されて、神戸事件と堺事件に奔走した。 伊藤は、参与、外国事務局判事、大蔵兼民部少輔、初代兵庫県知事、工部卿、宮内卿などの要職を次々と歴任していった。これには木戸孝允の後ろ盾があったからである。  1870年(明治3年)に工部省が出来て、伊藤博文は、工部卿として殖産興業を推進する。工...

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明治維新150年シリーズ7⑦利助の大出世A

  利助は、1841年(天保12年)10月16日に周防国の熊毛郡(現在の山口県光市)の百姓・林十蔵と琴子の長男として生まれた。父の十蔵が破産して萩に赴任したために、母の実家に預けられたが、9歳の時に、父に呼び出されて萩に移住した。利助の出世は、この萩から始まるのである。  利助が12歳の時に父の十蔵が、中間の水井武兵衛の養子となり、その武兵衛が、足軽・伊藤弥右衛門の養子となったために、十蔵父...

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明治維新150年シリーズ⑥「吉田松陰なくして、明治維新なし」

 「吉田松陰」について書く前に某著者の「『明治維新という過ち』。サブタイトルは「日本を滅ぼした吉田松陰と長州テロリスト」を全部読んでみた。  なるほどよく調べて歴史の敗者の立場から縷々詳しく書かれている。その説得的な文章に思わず引き込まれかねないが、しかし結論は間違っていると断定せざるを得ないのである。  「明治維新」は過ちでもなく、ましてや「大東亜戦争」によつて日本を滅ぼしたのが、長州テロリ...

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明治維新150年シリーズ⑤岩倉遣欧使節C

 「150年前の『明治維新』とは何だったのか?」を考える上で、岩倉具視を題材として書いている。これで3回目である。 岩倉具視は「明治維新」が成立した「王政復古の大号令」や「京都小御所会議」後の一年間にわたる激務が重なったために健康を害して、病気療養のために1869年(明治2年)1月に「輔相」を辞任して、一旦、中央政府から身を引いた。  1870年(明治3年)8月に再び「国体昭明政体確立意見書」を体...

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明治維新150年シリーズ⑤岩倉具視と鳥羽・伏見の戦いB

 年が明けて1868年(明治元年)元旦に、大阪城にいた徳川慶喜が、薩摩を討伐することを決意して、1月3日に会津藩・桑名藩をはじめとする幕府軍が「討薩表」を携えて京都へと侵入してきた。 幕府軍15000人は、京都の南郊外の鳥羽街道と伏見街道まで進軍して、上鳥羽の小枝橋において、薩摩・長州軍5000人と対峙したのである。  この事態に対して朝廷内でも緊急会議が開かれて、大久保利通が「旧幕府軍の入京...

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明治維新150年シリーズ⑤岩倉具視と王政復古の大号令A

 岩倉具視、この男無くして「幕末」の総仕上げと「明治政府」初期の政体は語れない。しかし岩倉は「明治維新」直前まで5年間も京都洛北の岩倉村で蟄居生活を余儀なくされていたのであった。        岩倉具視  だが幕末に「薩長秘密同盟」が成立し、時勢が「倒幕論」へと急転回したので、岩倉具視が表舞台へ引き出されたのである。 朝廷内での岩倉具視の実力を知っていた公家たちや薩摩藩の西郷隆盛や大久保利通、長...

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明治維新150年シリーズ④「西郷どん」を支えた薩摩藩家老・小松帯刀B

  1866年6月の第2次長州征伐には、薩摩藩や芸州藩が参加を拒否したために、幕府軍が15万人という圧倒的な大軍であったのに全然士気が上がらず、かたや1万人足らずで藩を守るのに必死の長州軍の方が、最新式のミニェー銃などを駆使して戦ったことで、幕府軍が完全に撃退されてしまった。  さらに大阪城で戦況を見届けていた将軍・徳川家茂が突然病死したので休戦命令が出されたのである。  この長州征伐の敗北によっ...

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明治維新150年シリーズ④「西郷どん」を支えた薩摩藩家老・小松帯刀A

  今年の「明治維新150年」を飾るNHK大河ドラマは「西郷どん」である。この西郷隆盛と大久保利通は「維新の3傑」に入っているので、あまりにも有名であるが、薩摩藩にはもう一人「明治維新」の隠れた立役者がいるのである。大河ドラマ「天璋院篤姫」で準主役になった薩摩藩家老の小松帯刀清廉である。                      小松帯刀(たてわき)   幕末に...

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明治維新150年シリーズ②薩長秘密同盟成立「これで天下の事は、もはや成った」

「明治維新」に欠かすことができない「薩長秘密同盟」の成立について書こう。 「薩長連合」というのは、何も坂本龍馬の独創的構想ではない。「幕末」も押し迫った当時、薩長以外の志士たちの間では「薩長が手を握りさえすれば、幕府は倒せる」と誰もが思った公論であった。 公家の岩倉具視も、龍馬の盟友の中岡慎太郎も思ったし、そのための奔走もしてきた。しかしその大難事を「いかにやってのけるか?誰が犬猿の仲の薩摩と...

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結局、北戴河会議以降も、習近平独裁政権の強硬姿勢は変わらないのか?

  8月初旬の北戴河会議で、何が話し合われたのか?ほとんど何も伝わってこない。米中貿易戦争のことが話し合われたことは間違いないが、どうやら習近平主席が強権で長老たちを出し抜いたようである。 すなわち「こうなってしまった」ということで意見は、いろいろあるが「党内対立の激化は、アメリカを利するだけだ」として、事態の収拾を図った模様だ。 今回の米中貿易戦争に至った理由は、言うまでもなく習近平主席が自...

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Author:安田一悟
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